長州の伝統が息づく、閑斉の世界へ!
内藤以貫の墓の特徴
内藤以貫は通称六左ェ門と呼ばれた人物です。
彼は閑斉、楽山、白石山人とも名乗っておりました。
史跡としての価値が高く、訪れる価値があります。
以貫は長州の生まれで通称六左ェ門、閑斉、楽山、白石山人と号した。
仙台藩二代藩主伊達忠宗公に仕え、三百石を賜り、四代藩主綱村公の侍講となった。
陽明学の流れをくむ儒学者で、貞山公(政宗公)年譜、義山公(忠宗公)年譜の作成や封内山海名蹟記を著した。
晩年は白石山房(西田中松下)に隠居し、元禄5年(1692)10月21日68歳で死去。
この墓を地域の文化遺産として保存しようと、地元有志を中心に管理保存会が結成された。
追記:この墓は丘陵の中腹に位置し、更に上へ進むと頂上の東五丁目公園に繋がっているので、入り口が見つからない人は公園側から行くと良い。
名前 |
内藤以貫の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.sendai.jp/izumi-katsudo/izumiku/shokai/profile/shisekimeguri/mesho/naitoikan.html |
評価 |
3.0 |
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伊達騒動を全て見ていた人。
住吉台の公園からアクセスが楽です。