名前 |
下塚の松 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.5 |
寛永年間(1624~45)のこと。
廿六木村に疫病がはやり、村の約3分の一にあたる12~3家族が死に絶えた。
そのとき、二人の行者(千光院、容海)が来て、一心に悪疫退散の祈祷を続けたところ、一人、また一人と快癒してゆき、ついに疫病は収まった。
喜んだ村人は、この地に留まるよう懇願。
千光院は森屋伝兵衛宅に、容海は太田利左エ門宅に住むようになった。
そして、両者の遺言により、千光院は村の南口(上塚)に、容海は北口(下塚)に葬られた。
死後もその場所で、村に災厄が降りかからぬよう見守っているというわけである。
塚を築く際、上塚にはエノキが、下塚にはマツが植えられたそうである。