新しい樹がどこまで頑張りるかですね!
相変わらず痛々しいですが…1300年も生き続けてきた事に感動です。
今年も満開になりましたね。
伊佐沢の久保ザクラは枯れる寸前、新しい樹がどこまで頑張りるかですね!子供の桜が小学校で🌸咲いてますから、何は植林されるのかな?
樹齢1200年の古桜です。
少しでめ永く生きてくれる事を願います!2023.04.10撮影。
名前は知ってましたが、桜の咲く時期は混みあうので・・・かなり、老木です(u003e_u003c)まるで、老人が杖ついてるようで痛々しい(T_T)
樹齢1200年と言われている美しい古桜です。
特にライトアップされた夜桜は、日本三大桜に数えられる三春滝桜にも勝るとも劣らない美しさで、国の天然記念物に指定されています。
江戸時代の米沢藩古文書で名所として伝わっていて、平安時代に征夷大将軍であった坂上田村麻呂が長者の娘に贈った桜とも、伊達家家臣でこの地を治めていた桑島氏の墓木桜とも言われています。
この桑島氏は、伊達家よりも以前からこの地にいた植林が大好きな土豪の一族と思われるので、これらの伝説は両方とも本当でしょう。
桑島氏の娘に恋をした坂上田村麻呂が贈った桜なのだと思います。
そして、三春を治めていた田村氏(伊達政宗の正室の一族)は坂上田村麻呂の子孫という伝承ですし。
この桜は雄大さよりも、闇夜の立ち振る舞いがどことなく可憐な美しさがあります。
宵の肌寒さのせいも手伝って、恋人や夫婦で訪れると自然に寄り添って手を繋ぎたくもなってきます。
不思議ですね。
私は、春になるとこの夜桜を見たくなって疼いてきます。
桑島の血が通っているせいかもしれません。
昔からある恋仲の桜は、今ではオススメのデートコースです。
ぜひ一度、恋人を誘って夜の久保桜をお楽しみください。
以下、現地にある掲示板より転載。
〈伊佐沢の久保ザクラ〉エドヒガンの巨木で目通り9メートル。
天保・弘化年間(約150年前)の頃は、枝が四反歩(約4000平方メートル)に広がり「四反桜」の名で慕われていた。
久保桜に関する伝説には、征夷大将軍坂上田村麻呂が当地に立ち寄った際、地元の娘お玉と思慕の仲となったが、田村麻呂が帰国後お玉が亡くなったため、桜を送って植えさせたのが久保ザクラといい、また戦国時代当地に住む伊達の家臣桑島将監が、妻お玉と子を亡くし、その供養のために植えたのがこの桜であるともいう。
現在、桜の幹の中心部は朽ちて空洞化しており樹齢の特定は難しいが、推定樹齢約1200年と言われている。
地元のあたたかい保護を受け、毎年4月下旬頃枝いっぱいに紅色の美しい花をつけている。
平成5年3月目 通:9.00メートル樹 高:16.00メートル枝振北:12.10メートル枝振南:7.10メートル枝振東:12.30メートル枝振西:9.90メートル国指定:大正13年12月9日文化庁山形県教育委員会長井市教育委員会。
かつて巨大な木であった。
なれど樹勢が衰え、いくつかの枝は枯れ落ち、残る幹も枯れ死を待つのみの状態に。
そこから地元の方の頑張りにより再生プロジェクトが立ち上がり。
近年ようやく新芽が出て再生を始めています。
かつての大きさになるには長い月日がかかると思われます。
それまでの進捗を楽しみにして眺めるのま乙なものですが。
名前 |
伊佐沢の久保ザクラ |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.5 |
約千二百年前の桜です。