静かに石原莞爾を偲ぶことができます。
令和3年から記帳所が新しくなっています。
クラウドファンディングにより資金を募り実現したようです。
旧帝国陸軍の鬼才天才と呼ばれた中将のものです。
満州国の仕掛人で歴史すきならば誰もが知る有名人なのでその辺はおいておきますが、富貴を求めることも無く、戦後はこの近くの牧場でひっそり共同生活して暮らしていたんですよね。
仏教に深く傾倒していて、この酒田の外れの地にふさわしい感じがします。
おしんといい石原莞爾といい・・・。
戦争の天才石原莞爾とは何者なのか?東條英機と政争で敗れなければ大東亜戦争の結果は惨めなものになり得なかったであろう。
天空から石原莞爾は、今を生きる日本国民に、再び世界最終戦争論を訴えているかもしれません。
自分は歴史には詳しくありません。
場所は国道沿いです。
大きな車は入れません。
子供の頃からの通り道です。
ポケットステーション です。
石原莞爾さんの墓所。
道の駅鳥海山フラットの近く。
こちらは、新しく移設された墓所とのこと。
この丘の上から見える鳥海山は、とても美しいです。
有志の人が整備しているお墓で、静かに石原莞爾を偲ぶことができます。
名前 |
石原莞爾墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
秋田側より、遊佐酒田側から望む鳥海山の方が美しくて雄大なんですよね〜。
故郷の鶴岡ではなく、なぜここを永住の地と定めたのか、行けば良くわかる土地柄です。
海あり山あり温泉ありで、沿岸部で雪もあまり降らず、山形では過ごしやすいはず。
世界最終戦論を読んでから行ってみてください。
なお、陸軍大学校の卒論は長岡戦争の戦史研究だったそうですが、知れば知るほど、河井継之助と石原莞爾は、天才気質の合理主義者たという事がわかります。
長岡出身、山本五十六の卒論も河井継之助だったかな。
大軍大国相手に、幕軍最大の天才はどう振る舞ったか、ということですね。