木花咲耶姫命٩( ᐛ )( ᐖ )۶
書き置きですが御朱印あり。
境内からは周りの平野が見渡せます。
駐車場はありますが直列駐車する必要あり。
木花さくやひめ、ニニギノ命を奉った神社山ノ上にひっそりと鎮座して参拝者もめったに来ないような場所でした御朱印は賽銭箱横に置いてあり300円でした。
階段が上りが多くて降りるときは少ないので不思議です。
令和3年3月14日参拝御朱印あり(書き置き、印刷)祭神:日子番能邇邇芸命、木花佐久夜毘売旧社格:不明宮崎市熊野にある熊野神社の境内外末社。
創建年代は不明だが、永禄五年(1562年)に記された飫肥紀行に記述があるため、そのころにはすでに創建されていたと思われる。
古事記・日向三代に登場する邇邇芸命の行宮の跡と伝えられ、佐久夜毘売が火を放って無事出産した3皇子誕生の産屋「無戸室(うつむろ)」の跡、産湯に汲んだ泉と伝えられる「桜川」がある。
また、以前は西隣に木花山法満寺があったが、明治期の廃仏毀釈により廃寺となり、現在は木造阿弥陀如来立像(宮崎市有形文化財)と石塔群が残るのみである。
熊野神社の境外末社で創建年は不詳ですが、永禄5年(1562年)には既に存在していたようです。
御祭神は日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと:天孫)木花佐久夜毘売(このはなさくやびめ:日子番能邇邇芸命の配偶神)の2柱の神々です。
御鎮座の地は木花佐久夜毘売が3人の皇子を産んだという伝承地で、境内に無戸室(うつむろ:出口を塞いだ産屋)の跡があります。
ちなみに無戸室の伝承地は西都市にもあります。
社殿は赤と黒で塗られていて、際立った印象の建物でした。
子供の頃、ここでよく遊びました。
ゴリゴリの差別主義者である母は「木花は部落だ。
この地域と関わるな」と呪文のように私に言い聞かせ、ここに行くこともいい顔しませんでしたが、物心ついた段階から一貫して差別に反対の私は一切従いませんでした。
駐車場が狭く前の方の停め方しだいですがあまり人はいなく静かな神社でした。
かなり古い感じの神社です。
見所はコノハナサクヤヒメが燃え盛る産屋の中で三柱の子を生んだという産屋の跡と産湯として使ったという「霊泉桜川」でしょうか。
かなり地味な印象は拭えない感じですが、車で鵜戸神宮から青島神社へと行ったあと宮崎市街へ向かう途中にあるのでとっても寄りやすかったですし、神話関連の史跡観光地を巡る途中ともなれば外す理由はなかったです。
心落ち着かせるには、良い場所。
歴史を感じる場所です。
静かなところでした。
氏子さんがいらして、お掃除。
されてました。
色々説明してくださいました。
きばな神社。
コノハナサクヤヒメが祀られていると知り行ってみたかった。
あまり訪問者が無いようで寂しい感じです。
駐車場も手狭です。
あまり凛とした空気は感じられませんでした。
この地区の名前の木花(きばな)は「このはな」とも読めるがコノハナサクヤヒメと何か由来が繋がっているのだろうか?…あとで由来書を読んだらやはりコノハナサクヤヒメから木花の地名が出来たようですね。
駐車場は狭く数台しか停められません。
高台にあり奥深さを感じさせます。
眺めが良くまた参拝に行きたくなります。
ふと立ち寄りました。
眺めが良いですよ!御朱印は書き置きがあり賽銭箱に300円入れます。
木の花の咲くや姫(木花佐久夜毘売)が、お腹の子がニニギノミコト(瓊瓊杵命)の子であることを示すために火の中で3皇子(ホデリノミコト(後の海幸彦)、ホスセリノミコト、そしてホオリノミコト(後の山幸彦))を出産した「無戸室(うつむろ)の跡」の伝説が宮崎県西都市と木花神社(宮崎市熊野)にある。
歴史のある神社です。
道路脇の誘導に従うと長い階段のお出迎えですので登りたくない人はまっすぐ進むと迂回できます。
素敵な雰囲気でよかったですが一人で行くと少し怖いかもしれないですね。
木花に古いいわれのある神社がある事を最近知り、訪ねました。
参道の階段を昇って振り返ると青島が正面にあり、良い眺めです。
木花咲耶姫命٩( ᐛ )( ᐖ )۶
木花神社です。
ここからはじまりました…。
の、一つです。
木花のことは、川添宮司(宮崎市木花-熊野神社宮司)に聞きましょう。
地震津波時は、高い場所に逃げましょう。
階段が急です。
コケで滑ります。
鳥居が新しくできたモノでそこから見える田んぼの眺めが良かったです。
駐車場がちょっと急な坂でした。
安産祈願。
名前 |
木花神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
いい雰囲気でした。
無人で御朱印はセルフサービス。
両替はもちろん自販機も近くにないので小銭の準備を忘れずに。