名前 |
美里共同井戸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
[概要]明治末期から大正初期頃に掘られスンジャ(井戸)で、ンザトゥ(美里)のスンジャと呼ばれた。
付近の10所帯余りが資金を出し合い、金武村(当時)外から、専門の職人を雇って掘ったという。
この一帯は深く掘らないと水が出ないため、深さは約 21mもあった。
[井戸の様子]当初の井戸は、滑車は木製、鋼はシュロ製、井戸枠は 4個の石を加工して円形に組んだものであった。
水は引用のほか、生活用水さして使われた。
水汲みは子供の役割で、夕方には順番を待つ子供たちが井戸の周囲で遊んでいた。
井戸のそばには野菜や農具の洗い場があり、さらにその排水をためるイーチ池があった。
滑車は昭和初期に金属性へと変わり、井戸枠は 1953(昭和 28)年頃にコンクリート製となった[その後]1962(昭和 37)年の上水道設備の完成により使用されなくなり、1970(昭和 45)年頃の道路拡幅工事により埋められた。
2006(平成 18)年、井戸跡地であることを後世に伝えるため、かつての井戸の使用者たちにより石碑が建立された。
-案内板より-