豊玉姫命、景行天皇旧社格:村社創建年代は不明。
高屋神社(宮崎市村角町) / / / .
以外と知られていないが、由緒ある神社です。
駐車場は4•5台分しか無いです。
紙人形代で悪疫退散の祈願ができるとは🤗竹林と顔無猿田彦の石像あり😊※先日、人形の形代に厄を転じて退散祈願🤗数日後、かなりスッキリ悪疫途絶え、肩の重みが取れました🤗
彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと)の御陵墓がありました⛩
山幸彦の陵墓が、境内横にあります。
意外ですね。
無人ですが、書き置きの御朱印あります。
まさかこちらに山幸彦のお墓とさせる古墳があるとは知りませんでした。
そして こちらでも 串間円立院氏の石仏があるのにもビックリして感激が止まらず龍の彫刻などにも感動しまた。
3日前に平賀快然先生の看板を見に行き木花神社へ行った繋がりなのかこちらの高屋神社を知らなかった自分は猿田彦大神の導きを受けた気になってしまいました🤩
長女の安産祈願と出産後にお宮参りをしていただきました。
川越宮司さんが一所懸命でお言葉が心にしみ、感動的なものでした。
お守りやお食い初めで使用するものなどいろいろいただきました。
またお願いします。
令和2年1月3日参拝御朱印あり祭神:彦火々出見命、豊玉姫命、景行天皇旧社格:村社創建年代は不明。
しかし、仁明天皇嘉祥二年(849年)に祠官となった旧社家の系図があるため、それ以前の創建と考えられる。
日本書紀における高屋山上陵がこの神社周辺であるとの言い伝えがある。
川越宮司さん、祝詞、笛、太鼓の迫力素晴らしく、感動しました。
あの迫力のなか、孫はぐずることもなく、神聖な雰囲気を感じていたのかと思います。
小さいけど綺麗にされてると思います。
駐車場にあったサボテン(ナゼ?サボテンが?)何か可愛かったです。
宮崎平野の古社の雰囲気を色濃く残す佇まいで神秘、静寂の中に鎮座する素晴らしい神社です。
シーガイア等。
県外の方が多く訪れる場所からも近いので一度訪れてはいかがですか。
夫婦楠が額縁になって鳥居、拝殿の景色は絵画のようです。
境内も綺麗に清掃されていてとても気持ちがいいです👌
御朱印は書き置きですが、良く梱包されていました。
この様な心遣いは有り難く思います。
神社の造りを見るのが楽しい!こんなに古くて、素敵な神社を今まで知りませんでした。
もっと知られて欲しい神社です。
駐車場あります。
高屋の名に反して平地に鎮座。
無人のささやかな社ながら、境内は神聖な森のよう。
一見、そこらの鎮守様と変わりない。
ところが社殿横に円墳があって、並ならぬ歴史を抱えるらしい。
明らかに社殿は後から造った感じ。
当社は円墳の被葬者を祀るものであろう。
神代紀の一書に曰く。
初め火燄(かえん)明る時生(あ)れます兒、火明命(ほあかりのみこと)。
次に火炎盛る時生れます兒、火進 命(ほすすみのみこと)、又曰く火酢芹命(ほすせりのみこと)。
次に火炎避る時生れます兒、火折彥(ほおりのひこ)火火出見尊(ほほでみのみこと)。
凡そ此三子、火の害ふ能はず。
及び母も亦、少しも損へる所無し。
時に竹刀以ち、其の兒が臍を截る。
其の竹刀棄つ所、終に竹林を成す。
故、彼の地を號けて曰く竹屋。
社伝に拠ると、この「竹屋」が当社の地名「高屋」の由来であるという。
ホスセリは海幸彦、ホホデミは山幸彦、ということは、天孫降臨地がこの辺りにあったという主張でもあろう。
駐車場はあるが狭く停め難く、無人の社殿に何か並べてあるのみで、観光客がこぞって押し掛ける場所ではない。
驚いたことに、猿田彦大神が大量に植えてある。
おそらく庚申塚として各所にあったものを、開化期に集めたのだろう。
由来は古く、事実ならかつての仮皇居。
静かで、かつ寂れておらず、建物は古風で素晴らしい。
御祭神:彦火火出見尊 (ヒコホホデミノミコト=山幸彦) 景行天皇 豊玉姫尊 景行天皇が熊襲征伐の際、日向に六年間滞在した「高屋宮」の伝承地の一つ。
当社西方の小高い丘は、彦火火出見尊の山陵と言う。
日本書紀にある「ヒムカの高屋の山陵に葬る」とあるのは、当地であると伝わる。
また、武内宿祢が、彦火火出見尊の山陵と知り、ここに鎮座を定めた。
山陵付近には、尊にちなむ地名が残っている。
「安尊」は生誕の地、「竹尊」はミコトの生誕の時そのへその緒を切った竹刀を投げた所と伝わる。
名前 |
高屋神社(宮崎市村角町) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0985-58-3032 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
日本書紀に、景行天皇が6年間も高屋の宮に住んだとの記載があり、この地だとの言い伝えがあります。