私の親父の二人ぐらいではないでしょうか?
京都にも空襲があったことが忘れられないための石碑です京都は空襲とか無いように思われがちですが、こちら馬町、太秦、北区、西陣などでも被害を受けています原爆投下目標にもなっていたというから驚きです(語りつぐ京都の戦争と平和より)戦争の標的で例外は無いというのが分かる話で、身近で起こりうることだと覚えておく記憶かと思いますなお、石碑は京都市立東山総合支援学校の正門入った左手にあります。
馬町空襲があった当時の様子を知るひとは、今では近所の散髪屋のお爺さんか、私の親父の二人ぐらいではないでしょうか?親父は今でも空襲当時の様子を鮮明に記憶しており語って呉れます。
空襲の記憶を風化させないよう近年建立されたと聞きます。
昭和20年1月16日午後11時20分頃に馬町一帯が被弾、死者四十余名負傷者五十余名全半壊家屋143戸。
名前 |
馬町空襲の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
京都市立東山総合支援学校の正門入った左手にあるのが「馬町空襲の碑」になります。
1945年(昭和20年)1月16日の午後11時20分頃に一機の米軍爆撃機B-29が飛来して京都東山区馬町周辺一体に約20発の250ポンド(約113キロ)爆弾を投下した。
府の記録によると被害は、死者34人、負傷者56人、全焼・全壊31戸、半壊112戸とのこと。
馬町空襲より70余年たち空襲の事実を風化させないために「馬町空襲の碑」は、建立されました。
空襲で亡くなられた方の冥福をお祈りいたします。