井戸から湧いた塩水を飲むことができます。
井戸から湧いた塩水を飲むことができます。
飲めると言っても海水並みにしょっぱいため覚悟が必要です。
海岸線からかなり距離があるのに、不思議な神社です。
鹿野田神社は、古くは「潮(ウシオ)妙現(ミョウゲン)大明神(ダイミョウジン)」と称し、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)を祭神としており、享保11年(1726)社殿を再興した時の棟札から弘安(1278~1288)以前より勧請された古社であることが推測されます。
弘安6年(1283)から貞享3年(1686)の四百余年間に9度の上棟が行われました。
享保11年(1726)に至っては、社殿の腐蝕を痛嘆し、岩を穿ち社地を拡め壇を築き柱礎を替え、さらに再興したもので、領主伊東氏の後も旧佐土原藩主島津氏より社領10石を寄進され、累代より領主の崇敬が篤かった神社でした。
明治6年 鹿野田神社と改称していますが、現在も潮神社と地元では呼ばれており地元鹿野田地区住民の崇敬を集めています。
鹿野田神社境内に、「潮満玉の泉」と呼ばれる海水の湧き出る潮満井戸があり、御神水となっています。
この井戸は12kmも離れた日向灘の干満に合わせて水位が上下すると言われています。
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)は、海幸山幸の物語の中の山幸彦ですが、兄君火照命(ホデリノミコト)の釣針をなくされ、それを探しに海神綿津見大神(ワダツミノカミ)のもとへ行き、三年の後なくした釣針のほかに潮満玉(シオミツタマ)と潮涸玉(シオヒルタマ)を授かって帰られました。
この潮満玉・潮涸玉が鹿野田神社の御神体であり、この潮満の泉はその御神徳によるものといわれております。
享保11年(1726)の社殿再興の棟札には、上下万民崇敬の様子を述べると共に、この潮満の泉の功徳をたたえて哀愍六合を覆うと述べております。
「日向地誌」によれば、潮神社として「社地の前に潮井あり 其地海浜を距る三里三十余町 地勢の海面より高きこと幾丈なるに、此井海潮と共に満涸あり 大潮の時は井中より溢れて地上に汎濫す 其味鹺鹹海潮と少も異なるなし 奇なりと謂ふへし」とあります。
弘安(1278~1288)以前に勧請された古社である。
塩籠明神・潮妙見大神・潮様ともと称し、豊玉姫を祀っている。
社前の塩水の霊泉を汲みて帰り、宮詣での土産とする。
明治六年に鹿野田神社と改称した。
名前 |
鹿野田神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
駐車場がなく、道端に停めました。
静かで風が気持ちよくよい場所でした。