西都市 土地改良歴史資料館 / / / .
杉安地区の土地改良の歴史を知ることができました。
名前 |
西都市 土地改良歴史資料館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0983-42-1052 |
住所 |
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評価 |
3.4 |
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杉安井堰は、219号線杉安橋から1kmほど下流に位置しています。
児玉久右衛門は、元禄2年(1689年)に穂北郷の庄屋の息子として生まれました。
ところが、この地帯は水利の便が非常に悪く水が乏しい地域であり、取れるお米は年貢の10分の1程度で、先祖代々引き継がれた農地を手放す農家も少なくありませんでした。
これを見かねた久右衛門は、米良川(現一ツ瀬川)より水を引き、水田の造成を考え、藩の許可を得て、享保5年(1720年)に水路と井堰造りに着手しました。
途中、出資者の変更、工事の妨害、洪水による堰の流失など幾多の問題がありましたが、享保7年(1722年)に第1期工事が完成し、14町歩(約14ha)を潤しました。
寛延3年(1750年)に第2期工事が完成し、水田80町余(約80ha)をかんがいし、後に水田600町歩(約600ha)に達しました。
その後、幾多の改修と昭和8年(1933年)及び昭和52年(1977年)の大改修により、現在の近代的頭首工が完成しました。
久右衛門の大事業に村民は深く感謝し、毎年米36俵を永代子孫に寄贈していましたが、現在では奉賛金として霊前にお供えし、11月には児玉久右衛門翁をしのび、慰霊祭がとり行われています。
(農林水産省 HP 児玉久右衛門と杉安井堰) 確かに当時は享保の改革とやらで新田の開発が奨励された時期でもあり、特に西日本では享保の飢饉(蝗害)などで大変な時期だったようです。
青木昆陽が『蕃薯考(バンショコウ)』で救荒作物として有用な甘藷(カンショ)の性質・栽培法を紹介し新たに設置された小石川養生所の薬園内で試験栽培し甘藷栽培を奨励したのもこの時期だったと思います。