住吉三神を奉斎したと伝えられている。
神武天皇お舟出之地の立磐神社。
駐車場はありませんが、近くの海軍発祥の地の駐車場に停めれます。
社務所には常駐されてはいませんが、丁寧に地図と連絡先が書いてあるので、連絡すると、橋口氏庭園にあるご自宅にて御朱印を頂きました。
ありがとうございました。
二度目の参拝はキキタビの御朱印を頂くために訪れました。
今回訪れた際も綺麗にされていました。
町並みも綺麗で散策するのも良いと思います。
…カムヤマトイワレビコのミコト、大和の國…日本建国を成立なさったとする。
皇国日本の父、初代天皇…神武天皇が、ヒムカノ國、高千穂の峰を下り美々津海岸から東征する為に船出したと伝わる。
耳川の河口岸に鎮座する社です。
西暦紀元よりも約800年位前…だそうです。
そうして、2787年が経ち一系の元、日本国が世に有るのだそうです。
神話的なのですが、私は日本人なので誇り高いですね。
世界一の継続歴史を我が国、日本国が存立しえているのです。
バンザーイ!日本に生まれ日本国人で良かった~。
🙌皇国日本。
永遠なれ。
令和3年11月10日参拝御朱印あり(橋口氏庭園隣の社務所で授与)祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、神武天皇旧社格:神饌幣帛料供進共進神社(指定村社)景行天皇乙酉年(85年)に創建されたとされる神社。
神武天皇東遷の際に住吉三神を祭ったことを記念して景行天皇の御代に創建されたとされる。
このため、日本海軍の発祥の地とされ、記念碑がある。
また、境内には、神武天皇が座られたという「神武天皇御腰掛の岩」があり、玉垣を巡らして岩其のものを神武天皇の御神体として崇拝されている。
神武天皇の腰掛け石あります。
駐車場は、湊の海岸沿いにありました。
御朱印は、橋口家庭園にてもらえます。
住吉3神や神武天皇については皆さんが説明している通り。
美々津の街並み、耳川の景観、海軍発祥の碑などと合わせて楽しんでください。
神武天皇東遷の際に航海の安全を祈願してこの地で住吉三神を御奉斎した事に因んで、景行天皇の御代(71~130年)に創祀された神社だそうです。
御祭神は航海安全の神底筒男命(そこつつのおのみこと)中筒男命(なかつつのおのみこと)表筒男命(うわつつのおのみこと)以上の住吉三神と神武天皇の4柱の神々です。
2021年4月 社殿の造営はもう少しで終わりそうです。
神武天皇お船出の地とされる美々津港に鎮座。
駐車場は無いので、車は港に停める。
耳川の河口にある港ゆえ美々津の名がついたのであろう。
昔の「津」が今で言う「港」なので、「美々津港」なる頭痛が痛い的ネーミングセンスが個人的には引っ掛かるけれど、誰も気にしてはいないようだ。
「耳」は首長を意味する古代の称号だったようで、「天忍穗耳尊」「稻田宮主簀狹之八箇耳」「香香背男耳」「手硏耳命」「三嶋溝橛耳神」「神渟名川耳尊」といった神名/人名が遺り、また聖徳太子こと廐戸皇子は豐耳聰聖德とも、豐聰耳法大王とも称された。
そんな「耳」川の「津」とあれば、如何にも初代天皇のお船出地に相応しい。
となると、住吉三神を併せ祀るというか、神武天皇が祀ったというのは首を傾げる。
綿津見三神と同時に同所で生まれたことになっているけれど、日本書紀では仲哀天皇が「そんな神は知らない」と嫌がり、古事記では後に神功皇后が禊をしたとき初めて神名が判明しているので、皇室はそれまで住吉三神の存在を関知しなかったようなのだ。
由来はさておき、来てみると「立磐」の意味はよくわかる。
境内は岩だらけ、岩陰祭祀にでも使われてそうな見事な岩がゴロゴロ。
おそらく社殿もない時代から、人々の信仰を集めてきたことであろう。
宮崎平野から豊後水道に向かう航路を考えれば、往時は重要な港であり、その大事な港を見守る神であったに違いない。
神武天皇お船出の地 立磐神社 2020/11/11宮崎空港から高千穂へ向かう途中の日向の手前で「神武天皇お船出の地」という看板があり、寄り道。
出雲もそうだけど、神話=作り話だと思っていたのに、神話にまつわる神社や石が残っていて、ある程度史実に基づいてるんだなぁ~と、古事記や日本書紀を再認識。
もっとも統治者側の立場で編纂されているから、全て信じられる話ではないんだろうけど。
この辺りから船出したんだろうという地に「立磐神社」があり、その境内には、神武天皇が腰かけた岩が祀られている。
自分が腰かけても祀られる事ないのになぁ(笑)
海軍発祥の場所みたいです。
御朱印は少し離れた所です。
■立磐神社神武天皇が東征の時ここで戦勝と海上安全を祈願したといわれ、住吉三神を奉斎したと伝えられている。
境内には神武天皇が腰掛けたといわれている大きな岩が「御腰掛之磐」として祀られている。
ご祭神:①底筒男命(そこづつ の お の みこと)②中筒男命(なかづつ の お の みこと)③表筒男命(うわづつ の お の みこと)④神武天皇(じんむてんのう)
神武天皇がこの地から東征されたとされています。
日本海軍発祥の地でもあります。
港として江戸時代から栄えており町並みが保護されていて、ノスタルジーに浸れます。
神武天皇が 美々津の浜 から大和へ 東征 ため 船出する時航海 の 安全 と 武運長久 を祈願 された由緒ある 神社 です。
神社の前に天皇 みずから 軍船、船団 を、率いて、 美々津の浜 から 船出をした神武天皇東征 出発 の 伝説の地で日本海軍 発祥の 碑 がたってます。
美々津の浜 は 近くに有ります。
手入れされていてとても雰囲気のいい神社です。
いい雰囲気の神社です 😀
神武天皇が東征する際に航海安全を祈念して住吉三神を奉じたのが由来だそうです。
境内には神武天皇の御腰掛け岩があります。
御祭神: 住吉大神 [底筒男命(そこつつおのみこと) 中筒男命(なかつつおのみこと) 表筒男命(うわつつおのみこと)] 神武天皇 神武天皇東遷の際、美々津港より船出に当り、御航海の安全を祈念せられて、この埠頭に住吉大神の底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱の大神を奉斎したとして、第十二代景行天皇のときに創祀されたという。
境内には「神武天皇御腰掛岩」があり、玉垣を巡らして岩そのものを御神体としている。
参道入り口には、「日本海軍発祥の地」のモニュメントも建てられている。
神社専用の駐車場はありませんが、目の前にオープンなスペースがあり、参拝には支障ありません。
綺麗に保たれており、関係者の尽力が感じられます。
是非お訪ね下さい。
駐車場はありません。
《記録》神武天皇御東遷の時、当美々津港よりご出発に際し、海上守護神の墨江(住吉)三神を斎き奉った。
@古代日本正史 原田常治著P410
名前 |
立磐神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0982-58-1638 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
風光明媚な耳川河口に鎮座されている神武天皇東征出立地の神社。
決して大きくはないが、時間がゆっくり流れ清々しく、神武天皇腰掛の磐や日本海軍發祥の地碑もあり、よく整備されている。
御朱印をいただける社務所も丁寧に案内されておりわかりやすい。