横浜市認定歴史的建造物。
赤レンガ倉庫を間近に沢山の人が立ち止まって夜景を楽しんでいました。
鉄橋に目が行ってしまいますが、橋台が煉瓦と花崗岩コーナーストーンの辰野式でした。
廃線となった鉄道『山下埠頭線』に架かっていた橋で現役の橋梁。
この新港橋から山下公園まで廃線跡を整備した遊歩道「山下臨港線プロムナード」がある。
ちなみに新港橋は、純国産のトラス橋で、施工は浦賀船渠(うらがせんきょ)。
このあとご紹介する汽車道の港一号橋梁、港二号橋梁(アメリカ製)、港三号橋梁(イギリス製)より後に建造されている。
山下埠頭線は、旧横浜港駅から旧山下埠頭駅を結ぶ東海道本線の貨物支線。
距離はわずか2.0km。
昭和30年代、山下公園の東側に山下埠頭が造成されることから横浜港駅から山下埠頭まで線路を延長する計画が持ちあがった。
しかし線路が山下公園内の敷地内を通過することから景観を理由に地元で反対の声が起こったため公園の道路側に高架として建設され、1965年に完成した。
名称については「山下埠頭線」「臨港貨物線」「公共臨港線」などの様々な通称がつけられた。
象の鼻パーク方面と赤レンガ倉庫辺りを結ぶ橋。
横浜市認定歴史的建造物。
形式はポニー形ワーレントラス。
この形式は,明治期を通して,本州の鉄道橋梁としてよく採用された。
橋の設置は,「お雇い外国人が鉄橋の設計図を描く」「それに基づいて海外の会社に鉄製パーツの製造を依頼」「鉄製パーツを日本に輸入」「それを国内で組み立てる」という流れを踏んだ。
当初,鉄製パーツの発注先は殆どがイギリスだったという。
明治三十年代になると,「イギリス型のトラス橋は,機関車の重さに耐えられない」という指摘がなされる様になった。
このため,明治政府は,設計フォーマットをイギリス型からアメリカ型へと移行する決定を行った。
設計が,イギリス型であるにせよ,アメリカ型であるにせよ,日本は,製鉄技術の後進性ゆえに,鉄製パーツを安定的かつ安価に製造できない状態が長らく続いていたという。
このため,トラス橋の完全な国産化に漕ぎ着けたのは大正初期であった。
以上の歴史を踏まえた上で,現地を観察する。
銘板には「大正元年(1912年)八月 浦賀船渠株式會社製造」と銘じられていることから,新港橋梁は,安定的な国産化に成功した最初期のトラス橋であることが分かる。
また,鉄道橋であったことからか,床版に線路が残されている。
なお,これら日本中に設置された輸入トラス橋及び国産化初期のものは,安全面などの理由により,現在,殆どが撤去されている。
あるいは大幅な改造を施されて,当時の状態を保っていない。
つまり,新港橋梁の様に現存するものはそう多くはないのである。
また,こういった土木建築の史跡は,近年まで殆ど注目されていなかったため,設計図などの技術的史料が逸失しており,再現が容易ではない状態となっているそうだ。
新港橋梁は,それゆえに希少価値があるともいえる。
【おすすめ撮影スポット】みなとみらいエリアの数あるおすすめ撮影スポット橋の中の1つで、横浜赤レンガ倉庫から山下公園に向かう途中にあります。
すぐ横には横浜赤レンガ倉庫があり、橋からは象の鼻パーク、大桟橋、反対を見ると神奈川県警本部、横浜ランドマークタワーが撮れます。
また橋の下を覗くと小型船や水陸両用バスの行き来しており、上下左右360度楽しむことができます。
横浜赤レンガ倉庫を引きで撮りたい時や、大桟橋に大型客船が停泊している時は、ここから撮影を楽しんでいます。
ジョギングコースになっているのか、休日の早朝はランナーで賑わいます。
名前 |
新港橋梁 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
廃線跡のようです。