自転車を山の入り口に止めて訪問しました。
昔の人はすごい。
天然の要塞を、自然と対話しながら上手に作っている。
すごく複雑で、初めて来る人は、状況把握に戸惑うだろう。
ここでの平時の生活を想像しながら、登ってみました。
成大寺の方から登ったのですが、いきなり動物避けらしき柵が目前に…「閉めて下さい」の文字を見て、どうやら立入り禁止ではないようだと判断しました。
しかし結果的に見て、この道は登るには一番きつい道でした。
息を切らしながら城跡にたどり着いてみれば、二の丸付近まで充分車で登れそうな道があるのが目に入ってがっくりときてしまいました。
ただこの後利光方面への道を降りていったのですが、こちらにも動物避けの柵があって、こちらから車で行こうとしたら柵の所で諦めて引き返していたのではないかと少し前向きに考えることにしました。
追記:こちら側の柵は見た目でも私有地の入り口のように見えます。
画像の正面(川の左手の林)が鏡城 左手奥の方には高崎山と由布岳(豊後富士)が薩摩軍と豊後の壮烈な戦いであった と。
途中まで自転車で行き、自転車を山の入り口に止めて訪問しました。
かなり秘境っぽい感じで登るのが結構大変でした。
登山靴で訪問するのがお勧めです。
成大寺側から登山道を登りました。
道はしっかりしているので迷う事は有りませんが、落ち葉が多く角度も急なので、雨降り後など湿っている時は滑って危険です。
天気が良ければ本丸跡=山頂からは素晴らしい景色が臨めます。
石垣の有る城跡ではなく砦跡といった感じです😌車で登るには途中離合出来る場所が1箇所しか有りませんのでくれぐれもご用心下さい😅💦
車でどこまで行けるのでしょうか?対向車が来たら通れないような道です。
名前 |
鶴賀城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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鶴賀城跡(つるがじょう)。
築城年代は定かではないが利光氏によって築かれたと云われる。
利光氏は大友氏の庶流戸次氏の支流で、初代大友能直の孫家親が利光氏を称したのが始まりという。
天正14年(1586年)島津家久率いる島津の大軍が豊後へ侵攻すると、利光宗魚の籠もる鶴賀城を取り囲んだ。
利光氏は城を固く守り島津軍を退けていたが、城主の宗魚は戦闘の最中に流れ弾にあたって討死したという。
城内では城主の死を伏せて尚も固く守っていたが、豊臣秀吉が派遣した仙石久秀率いる四国勢が戸次川合戦で島津軍に大敗を喫すると、鶴賀城は降伏開城となった。