真言宗豊山派のお寺です。
新丸子の多摩川土手近くにあるお寺で川崎七福神の恵比寿様がいます。
入口の六地蔵でも有名です。
川崎七福神めぐりで参拝しました。
恵比寿(清新)さんです。
東横線新丸子駅東口徒歩6分位。
駐車場有ります。
恵比寿様は本堂に居るのか確認出来ませんでした。
七福神の寺院の中で唯一御朱印を押す所に人が居なかったので自分で押しました。
元旦から7日迄ご開帳で各寺院御朱印代(200円)ちゃんと納めてきました。
戦国時代に武蔵国世田谷と蒔田を領有していた吉良氏朝(1543~1603)とその家臣たちが、一族の「所願成就・皆令満足」を願って仏像を納めたお寺だそうです。
吉良氏と云えば、世田谷城と思っていたのですが、世田谷から横浜の蒔田まで領地が広がっていたと知って驚きました。
また、川崎七福神の恵比須が祀られています。
川崎七福神の恵比寿様が奉られています。
お正月は無人の受付です。
それなりに広いので、訪れる方も多いと思います。
改装後も綺麗で、北向観音様とか居て気持ち良い場所。
お線香を販売しており、火をつけられるようになってます。
いつもお掃除が行き届いてます。
黒い子猫が、たくさんいますね。
真言宗豊山派の寺院です‼️正月は、七福神巡りの寺院です。
先日、知り合いのお通夜、告別式で伺いました。
ご住職は尼僧の方でした。
日吉山大楽院神宮寺。
真言宗豊山派の寺院。
御本尊は木造釈迦如来坐像。
境外佛堂に閻魔堂がある。
駐車場わずかにあり。
多摩沿線道路からは入れないので注意。
准秩父三十四観音霊場11番・玉川八十八ヶ所霊場18番札所。
東急 新丸子駅5分程に在り 歴史在るお寺です。
新丸子駅から出て、東へ道を真っ直ぐいったところにあるお寺。
横を新幹線が通りますが、境内には恵比寿様などが祀られており、気持ちが落ち着きます。
何時も行きますけど⁉️住職に会えない唯一の寺です。
新幹線のガード下の暗い影を引きずって八幡町バス停向かい。
川筋の町の汚れっちまった気分を濯ぐスポットとして絶好。
ただ少々新幹線の轟音がうるさい。
すてきな住職に癒やされます。
大楽院は奈良・長谷寺を本山とする真言宗豊山派の寺院で、もとは山王社(現・日枝神社)の神宮寺を務めていました。
現在、本堂の脇壇に祀られている木造釈迦如来坐像(市重要歴史記念物)は高さが2m余りもある大きな作品で、印相は瞑想している姿を表す禅定印を結んでいます。
日枝神社を目的に散策していたら、たまたま見付けました。
が、見付けて良かったです。
六地蔵尊や釈迦如来坐像などを含め、所狭しと色々見所があり、日枝神社より楽しめました。
玉川八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました、真言宗豊山派のお寺です。
玉川霊場の御本尊は十一面観世音菩薩で、第十八番札所になります。
お寺の正式なお名前は日吉山大楽院神宮寺といいます。
本堂の脇壇に祀られている木造釈迦如来坐像は像高2m余りもある大きな仏様です。
昔の大楽寺は、日枝神社(旧:山王社)の神宮寺を務めており、境内には本堂の他に四間四面の観音堂、弁天社、稲荷社、不動堂などいくつかの堂宇を有し、境外には熊野社、八幡社、伊勢宮などもあった。
当時はかなりの寺格と規模を有していたようである。
2017/8/5拝受 真言宗豊山派。
一般の御朱印帖には御朱印を授与していない。
玉川八十八ヶ所霊場第18番札所の御朱印(十一面観音)を頂きました。
専用用紙!
真言宗豊山派川崎七福神(恵比寿神)平成18年1月3日巡拝玉川八十八ヶ所第18番霊場平成25年7月28日参拝 「御朱印を頂戴したい」と申し出たら、「当寺は、正月三が日しかやってません」と断られました。
玉川八十八ヶ所霊場の御朱印はそれぞれのお寺が事前に用意したものをいただくことになっているのに・・・話が頓珍漢でした。
結局は頂けたんですが・・・准秩父三十四観音第11番霊場平成26年9月24日参拝。
大楽院は川崎のとなり。
東横線新丸子から多摩川に向かって徒歩5分ほどにあります。
すぐ横を新幹線が走ってました。
玉川八十八ケ所霊場第18番札所です。
川崎七福神の恵比須さまが祀られているので訪れる人が多いと思われます。
多くの堂宇があり、また、四国八十八ケ所お砂踏み霊場の砂を移した砂踏み霊場があるのも特徴です。
御朱印はやってないそうです。
名前 |
大楽院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
044-411-7327 |
住所 |
〒211-0001 神奈川県川崎市中原区上丸子八幡町1522 |
評価 |
4.0 |
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神仏習合の影響を受け、線路を挟み隣接する日枝神社の神宮寺として創設との事だが、どちらが主体なのかは不明。
お寺に入って右に水子供養の区画があるが、昔この街にあった花街と関係があるのかもしれない。
三業地としては溝の口が有名だが新丸子にも大正時代に丸子園なるものができ繁盛していたとの事。
ただ戦後、赤線で一時にぎわったものの今はマンションのビル群が立ち並び見る影もない。
今は川崎七福神の恵比須様の御参りや、御朱印巡りで訪れる方が多いようだが、歴史の流れの中での、地元の方々とのかかわりを思い致す事も大事ではないかとふと感じた次第。