歴史感じる松井家の菩提寺。
春光寺の特徴
松井家の菩提寺として歴史的意義を持つ寺院です。
紫陽花が美しい庭園は訪れる価値がありますね。
八代城の番所が移設された歴史的な場所です。
毎年1月家族で、参拝します。
心があらわれるような読経と太鼓の音が境内に響き渡ります。
松井家の菩提寺御廟は歴史を感じさせる厳かな所でした。
初代康之公、二代興長公のお墓は近くの曹洞宗悟真寺から移されたこと知りませんでした。
約30年もの間、康之公に仕え殉死した元明智光秀の家臣田中理右衛門氏の墓が気になりました。
永御蔵の門は素敵でした😃
【細川家家老兼、徳川家直参 松井氏の墓所】
八代のお殿様の菩提寺なので歴史的な場所ではあるようです。
資料室?があるみたい?ですが扉が閉まってましたので特に何もありません。
このあたりはウォーキングコースとして整備されているようです。
古風で歴史溢れる御寺です。
先代の住職さんが気さくな人格者で親しみが持てる方です😊
「南無妙法蓮華経」山の麓にある 臨済宗のお寺です。
あじさいは綺麗が、清掃できてません。
紫陽花がたくさん咲き、庭園が楚々としていて良い所です。
八代城にあった、番所をこの春光寺に移設したそうです。
山門もかなりの年季を感じます。
御朱印は庫裏で頂けます。
八代神社のすぐ近くにあります。
豊臣秀吉とルイスフロイスが面会した場所はこの辺りと言われています。
山門はどっしりとした構。
1677年に八代藩主松井家の菩提寺として移築された寺で歴代の城主や家臣の墓が残っています。
平成28年10月10日参拝御朱印あり 臨済宗南禅寺派旧八代城主松井家菩提寺。
臨済宗南禅寺末寺、八代城主松井家の菩提所である。
延宝3年5月22日、平河原町の泰厳寺が雷火で消失したため、藩主細川綱利はこれを出丸の松井家菩提所宗雲寺に再興することにした。
これに伴い松井家三代直之の時、松井家には別に菩提所として春光寺を創建し、寺領百石ならびに山30町を寄進した。
これは先祖松井康之の功に報いるためであったという。
住職正岩は、延宝5年5月23日に宗雲寺から移住した。
春光寺境内の裏山には松井家歴代の墓所がある古廟・新廟の御霊屋があり、古廟前には康之の殉死者の墓もある。
営之の代に祖康之のため古廟に神道碑を建てた。
「永観子孫」四字は藩主細川重賢の自筆で、碑文は熊本の藪狐山、書は草野草雲筆である。
明治10年の西南の役では激戦地となり、庫裡の柱や木造達磨大師、大書院絵板戸、神道碑などに弾痕が残っている。
西南の役から百年目の昭和52年に、住職沢田清宗氏により「西南の役戦死者の碑」が建立された。
境内には多くの句碑や歌碑などがあり、また日本画家の大家堅山南風画伯の墓所もある。
『ふるさと宮地』より。
このあたりは、西南戦争の激戦地みたいです。
永御蔵御門(ながおくらごもん)・番所説明より 松井直之時代の貞享4(1687)年に、八代城三ノ丸(現在の西松;エ城町)に設けられた蔵屋敷を「永御蔵」といいます。
城内で必要とされる米を保管していた所で、この御門と番所はそこで使われていましたHPより八代城主松井家の菩提所で、臨済宗南禅寺派の末寺。
正保3年(1646)、熊本藩筆頭家老松井興長(おきなが)が八代城に入城し、当時北の丸にあった泰勝院を宗雲寺と改めて松井家の菩提所としました。
その後、藩主細川綱利は松井家の菩提所として古麓町に春光寺を創建させ、延宝5年(1677)に落成しました。
春光寺の寺号は松井康之の法号「春光院英雲宗傑」に因んだものです。
名前 |
春光寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0965-32-5557 |
住所 |
|
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

古麓稲荷神社と双璧するかのように。