名前 |
御霊神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
平安時代、清和天皇の勅願により全国に36社を建立されたが、当社は九州におけるその一つである。
細川忠興が八代入城の後、林中に御霊宮があり祭神が細川家の氏神の京都御霊社の分霊であるため、正保元年(1644)に現在の所に再興し30石の社領を寄附した。
祭神は、吉備大臣・早良親王・伊予親王・藤原大夫人・文屋宮田麿・橘速勢・藤原広嗣・火雷天神で、みな恐ろしい怨霊を鎮めるという平安時代の思想(御霊信仰)から発したもので、大切に祀られた。
(特定の人物の怨霊を鎮めるために御霊会を行う、元来は神社に祀られる祭神ではない。
)再興のころは、茶室がつくられ忠興もしばしば参拝して茶の会を催し、江戸時代には松井家の請祭りとなっていた。
祭礼には能楽が催されていたとの事だが、その舞台すら残っていない。
2月19日のお火たきの神事は「あめ祭り」と呼んで現在も受け継がれている。
『ふるさと宮地』より。