名前 |
武田信勝公之墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.3 |
「朝倉の史跡・古墳めぐり」というパンフレットによると、武田信勝公の祖は、安芸武田氏の流れをくむとされ、戦国期は河野氏の配下にあって龍門城を守ったそうです。
1582年、来島氏に攻められ落城し、信勝は鮎返りの地で自刃したとされます。
子孫は、のちの領主の庇護を受け、近世は朝倉地域の庄屋職をつとめました。
墓は1750年ごろ子孫によって建てられたものです。