初めて上りましたが登ってみたら広い!
世界遺産である「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」からは世界遺産選定段階で除外されてしまったという過去を持ちますが、キリシタン大名であった有馬晴信の居城であり、城下の有馬セミナリヨで学んだ少年たちが天正遣欧使節としてヨーロッパに渡ったことを考えれば歴史的な価値が高い資産であることは間違いありません。
しかしながら世界遺産に登録された原城址と比較するとまったく整備されていないと思いました。
農道に奥に小さな駐車場があり、山の奥に小さな広場があり看板が設置されているだけです。
訪問時、欧米人の男性方がいらっしゃいました。
おそらく神父さんであったように思います。
ぜひ地元の教育委員会等でもう少し整備をしてもらえるといいのではないかと感じました。
日野江城へ向かってミドルクラスのワゴン車で行きましたが、道幅が狭いので同乗者がビビってしまうぐらいの道という事を頭においといて下さい。
ちなみに行ったばかりですが、蜂のブーンブーンという警戒する羽音にビビって上まで行くのを断念しました。
夏から秋にかけて蜂の襲撃に気をつけて下さい!
看板と階段があるだけの素気ない遺跡ですが、一度は訪れて頂きたい要所です。
浦口からも訪れましたが、道幅がとても狭いのでお勧めできません。
個人的には大きなパワーをいただきました。
例の階段を発掘しておきながら写真だけで終わってしまったのがマイナス評価です。
有馬氏の居城を堪能しました。
桜が奇麗に咲き誇り、見ごたえ十分。
ところどころに残る石垣が何とも言えない。
4月に訪れたのですが雑草が伸び放題でした。
草を刈れば石垣や曲輪が良く残っているので素晴らしいと思うのですが。
日本一勿体ない城です。
案内表示板が2箇所あったので大手口入り口から登ろうと思ったが登り口の途中で頂上への道がわからなくなり断念。
再度別の登り口である浦口から登りました。
こちらがメインの登り口のようです。
途中まで車で行けますが道が狭いので離合は難しいですね。
桜のピークが過ぎでいましたがキレイでした。
高台にあるので見晴らしは非常によかったです。
島原城ができるときに廃城になった城跡です。
島原の乱の前には原城を繋ぐ廻廊(架け橋?)が一里程延々と続いていたそうです。
また、その城には金の十字架が上げられていたようです。
早くも桜が咲いていました。
鎌倉時代(1213~1219年)、高来郡を領する藤原経澄が築城しました。
経澄は藤原純友の子孫といわれており、築城時に姓を有間と称し、後有馬と改称しました。
晴純の代には最大21万石を領するまでに成長しますが、龍造寺氏の圧力を受けるようになります。
13代当主の晴信はキリシタン大名となり、城下にセミナリヨを建設します。
お城もこの時代に改修され、直線の階段や、海外の技術を取り入れた石組、金箔の瓦の先進的な城にしました。
1612年に晴信は亡くなります。
嫡男直純は1614年に日向に移封され、松倉氏入封後島原城を築城し、日野江城は廃城となります。
歴史に詳しくないのでさっと拝見しました。
時々土が柔らかいところがあってボコッと沈みます。
東側の無料駐車場から階段を上がって登れます。
他の入り口は塞がっていたり、道が荒れていて登るの難しいかも。
まだまだ整備されていない。
途中草木はえ登れない。
石垣等は、昔の名残り感じます。
いやはや、なかなか良い城跡である。
主要部を見渡すには約60分程の所要時間と思えばよかろう(城跡西側は未踏)。
登城口は数カ所あるみたいだが小生の登城ルートは城跡東側にある無料駐車場から階段を利用してのルート。
駐車場の目の前に城跡碑、説明板がありそこから登った。
主郭部に向かうには基本道がない。
というのも大雨の影響だろうか、崖崩れが私が目視で確認しただけで二ヶ所あり、それによって主郭部に向かう道が無くなってしまっておる。
それらを避けて直登すると主郭部に向かう道には容易にたどり着く。
城跡全体としては変わった曲輪の配置で、かつ曲輪がぎょーさん残っているので城跡としての残存状態は極めて良いと言える。
かつ随所に見られる石塁、石垣も残存状態が良い。
ただ整備はご近所の原城跡の方が数段上であり、私のような未整備の城に惹かれる方にとってはなかなかどうしてどうして良い城跡であるが、あまり慣れてない方や未整備の城跡に抵抗のある方にはオススメできない城跡であること必至である。
中級者以上にオススメする城跡である。
長く立派な石垣もあるし見所は多い。
是非きちんとした装備で登城したまえ。
昭和時代に公園として整備されていたようですが、荒廃しています。
何もない。
大手門から本丸に続いていた階段遺構も今は保存のため埋められている。
史跡の説明がなければ、山としか思わないだろう。
でも、かつてここに南蛮貿易で栄えた有馬氏の居城があった。
何もないからこそ、想像力豊かにイメージすることができる場所。
現在、二ノ丸→本丸間が崩落して登れません裏側から登りましょう。
崖を登ったその先に… 意外にいいところでした 😊笑。
城跡ですが遺構は明らかです。
建物はありません。
島原城や原城が近いのでここに寄る人は少ない。
静かな散歩できます。
余り整地されていないけどそれが又良い大手門から行ったら軽いぬかるみに注意😅
初めて上りましたが登ってみたら広い!何もないけど…こんなもんでしょう~もう少し遺跡?っぽいものが欲しいかな…
キリシタン王国有馬の領主有馬晴信の城跡です。
城跡は一般的な観光地ではなく史跡です。
入り口は何ヵ所か有ります。
猪避けの柵を開けて歩いて天守迄登ります。
先に有馬遺産記念館に行く事をおすすめします。
事前に知識を入れていくのと、何も知らずに行くのでは見え方が違うと思う。
何も知らずに行くと、単なる丘にしか見えないと思うので、事前に少し調べていく事をオススメします。
キリシタン大名、有馬晴信の居城として有名な城跡。
観光名所として感じのいい施設や、飲食店などは何もありません。
でもだから良いと思います。
かの遠藤周作氏のコラムにも出てきます。
この近くにある原城跡が観光地化して整備されたのに氏は失望されて怒りのコメントを書いてますが、この日野江城跡は当時の面影を残している旨、書いていました。
ですが、それも昔の話で私が行った2016年現在、ちょうど整備のための工事をしてました。
(工事のために仮設?の進入路が非常に狭く軽自動車でも危険な感じだったです)こういう場所は安全のための保守は必要と思いますが、安易に観光客を呼び込むための開発なんかしてほしくないですね。
どうやら合併前の北有馬町が桜の名所にしようとこの場所を公園化整備したものの、工事の際に損壊したものと指摘を受け工事を中止とかいう間抜けな経緯もあるそうです。
名前 |
日野江城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0957-73-6705 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
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城跡までの狭い道は車のすれ違いができないので冷や汗でした。
防獣フェンス内に入ってすぐ左が主な登城路らしいですが、草が生えていて見落としました。
ひとつ上の曲輪に登ってみましたが、草が多すぎて進むことを断念、来た道を戻ってから入口に気づき、無事登城できました。
原城跡と同じくらい貴重な城跡なので、手入れしていただけると嬉しいですね。
次回は冬に来ます😅