名前 |
左甚五郎の墓碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.shikokumura.or.jp/guide/facilities/hidari-jingoros-tombstone/ |
評価 |
4.0 |
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経歴や肩書き等々を見ると「名前の経緯や何時の人、出身地域が多く」左甚五郎の作品と関係が無い事の記載や文化財やその人の歴史を残して「今回は左甚五郎が生きる」事に成ると私は思います。
当初は偉大な伝説の彫刻職人といったイメージでした。
しかし「誰が何処で聞いたか、資料があった」のかは理解出来たせんが、実際は酒が大好きで毎食一升のおやつ変りに5合呑んでいたというのですから相当な酒豪でした。
決して人格者としての人間では無いけれど、彫刻職人としての腕前は、ノミを持たせれば天下が驚く作品を手掛ける人物だからこそ、落語のテーマになり「江戸初期の逸材」などといわれております。
また、左甚五郎の彫刻らしい作品は全国に数百もあり、約100位の模様(本物らしい作品で他の作品は他の彫刻職人との事です)で現在は「剰りにも左甚五郎作品が多く調査や精査中」です。
時の権力者の徳川家康が「権現」と成り、此れから日光東照宮にある「見ざる・言わざる・聞かざる(庶民としての生き方の作品です)」の三猿は有名ですが、同時期に作られた作品ですが「秩父神社の三猿は作品の裏側の心眼と助け合いを伝える作品」で「よく見・よく話し・よく聞く」猿は「つなぎ龍」と同じ秩父神社にあります。
また「見ざる・言わざる・聞かざる」には、余計な情報を取り入れず、悪は遮断し、健康に気を付けて生きる想いが込められております。
それに対し「秩父神社」の”お元気三猿”は「末長く元気に」という表現が込められており、三猿の表情が「一体化して」生きる事を表現しております。
他にも左甚五郎の本物と称される作品は沢山あり、取り上げる事は大変な鑑定や目利きがあります。
日光東照宮の三猿や眠り猫の修復は大変な思いで修復した彫刻職人は、失礼乍、左甚五郎の作品風とは難しく作業ですね。
歴史と文化は資源です(墓は無ですので相当な修行が)。
行き違い等々の切はご容赦下さいませ。
本所亀沢町6代末孫。