子供が行きたがっていて、、、
昭和50年春、ここで蒸気機関車を撮っていました。
今は廃線となり景色もすっかり変わってしまいました。
当時写真を撮っていた場所を探してみましたが、良く分かりませんでした。
こんな時代もあったことをお知らせします。
子供が好きで行ってきました。
ひろくてゆっくりできる公園もあり昔なつかしいものがたくさん売っていました。
実家に行き帰りにトイレタイムによります。
ジュース自販機あり、トイレはあまり綺麗ではありません。
今回は虫がいましたー。
見張りながらようを足しました(u003e_u003c)和式しかないので小さなお子さまはようをたすのは大変だと思います。
5/5桜が咲いてました。
富良野から札幌への帰り道でふらっと訪問しました。
昔の鉄道、駅舎など好きな人にはたまらないのでは。
鉄道グッズ販売もされていてなかなかいい感じの施設でした。
古い列車などあっていいです!
駐車場が広くてよい、また昭和時代の貨車、客車、ディーゼル機関車が置いてあります。
旧駅舎内では鉄道グッズ等が販売されています。
冬季は休業です。
昔の面影があり、木造の駅あとが歴史を感じました。
子供が行きたがっていて、、、
三笠駅の前身である幌内太駅(ほろないぶとえき)は、1878年(明治11年)当時の開拓事業停滞の打開策として打ち出された炭田開発の一環として、茅沼炭鉱に次いで開山した北海道内2番目の炭鉱である幌内炭鉱から、札幌を経由して小樽港まで石炭を運ぶ目的のために敷設された北海道内最初の鉄道である幌内鉄道の主要駅として開業しました。
先に開通していた手宮 - 札幌間の手宮駅、住吉駅(現在の南小樽駅)、銭函駅、札幌駅に次いで、同時開業の江別駅、幌内駅と共に北海道内で5番目に古い駅である。
駅名の由来t。
開設時の駅名「幌内太」は、幌内川が幾春別川に合流する地点を指すアイヌ語のポロu003dナイu003dプト(大きな川の入り口)に当て字をした地区名を採用したもの。
一方当地全体はイu003dチキルu003dウシまたはイu003dチャルu003dウシ(熊の足跡が多い)がイチキシリに転訛して当て字された「市来知村」と呼ばれていたが、空知集治監が設置された1882年(明治15年)頃からその裏山が奈良の三笠山に似ていることが言われていた。
1906年(明治39年)に市来知、幌内、幾春別の三村合併の折にその名を採用して「三笠山村」とした。
その後1942年(昭和17年)9月の町制施行に伴い「三笠町」となったが、駅名が「三笠」に変わるのは、1944年(昭和19年)1月の字名改正で「幌内太」という地名が全く消えた後の同年4月である。
名前 |
三笠駅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
三笠鉄道村、クロフォード公園となっています。
駅舎は鉄道関連のグッズを販売する売店となっており鉄道ファンには垂涎の場所です。