豊臣秀吉に纏わる言い伝えも残る場所です。
御祭神に磐長姫と木花開耶姫です。
天孫降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が木花開耶姫に一目惚れし、妻にと木花開耶姫の父の大山祇神(オオヤマツミノカミ)に相談した際に磐長姫と木花開耶姫を嫁がせました。
しかし、磐長姫を気に入らない瓊瓊杵尊は磐長姫を帰してしまい。
美と長寿を願い2人を嫁がせた大山祇神の願いは届かず、瓊瓊杵尊は短命に終わったとされています。
磐長姫は長寿木花開耶姫は美として、祀られるようになりました。
伊都国王を祀るために創建された、社と言われている。
ニニギノミコト、コノハナサクヤヒメは、三雲南小路遺跡の埋葬者の可能性が高い。
すぐ近くには八龍の森が存在する。
これは、彦火火出見命(ヒココ)の出生地との関係性も高い。
日本を元氣に☆ほぐぞう神様デートだぜ。
細石神社(さざれいし)御祭神:磐長姫命(いわながひめ)・瞑想・グラウディング・不動の強さ木之花開耶姫命(このはなさくやひめ)の妹さんですね。
お姉さんが外見の美。
妹である磐長姫命が内面の美と言われるそうです。
呼ばれていった糸島は古くからの神社が多く残る場所です。
伊都キングに今度は寄らないとですね。
磐長姫命は縁切りと縁結びのご利益もあります。
自分を信じる安心の波動が良い出逢いを運んでくるんでしょうね。
Ohana.久留米店 motoとほぐぞう。
木花開耶姫命(このはなのさくやびめ)、磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀る神社。
伊都国の中心部にあり、神田も多く大社でしたが、兵乱によって社殿を焼失してしまいました。
さらに天正15(1587)年、豊臣秀吉の太閤検地によって神田が没収されて衰退。
祭日に行われていた儀式・流鏑馬(やぶさめ)も途絶えてしまいました。
寛永(1624〜1644年)の末、庄屋小原金右衛門(おばらきんうえもん)という人物が、社前に81間の馳道を作って流鏑馬を再興しましたが、現在は行われていません。
この神社の西側に、伊都国の王と后とみられる墓、国史跡三雲南小路(みくもみなみしょうじ)遺跡があり、何らかを暗示しているように感じられます。
細石神社さざれいしじんじゃ福岡県糸島市三雲432祭神磐長姫命木之花開耶姫命魏志倭人伝の伊都国の中心にあると推察されていますそれにしては日向神話の女神二柱が祭神となっていますす日向に降臨した天照大御神の孫・邇邇芸に地主神である大山津見神は二人の娘を娶せる邇邇芸は容姿の美しい木花咲耶のみと婚姻二人の属性は木花咲耶は花のように美しいが命は短い磐長姫命は醜いが命は岩のように長いこれにより皇孫の命は短くなっとという。
御祭神:イワナガヒメ、コノハナサクヤヒメの姉妹でお祀りされています。
境内は小さいですがきれいにされていました。
地域で大事にされているのがわかります(*^^*)
特になにと言う神社ではありませんが、この地域の歴史を感じながら参拝すると趣があります。
駐車場はないのでご注意を。
ちなみにさざれ石は無かったです😅
5年前の参拝でした。
この地一帯が天孫降臨の地とする説も有るそうです。
誰もいない小さな神社ですが神秘的な空気感がありました。
さざれ石という言葉に霊気を感じます。
〔裏伝説〕コノハナサクヤ姫は一晩でニニギノミコトの子を宿した。
それを信じられないニニギは恐ろしいことに姫の腹を暴いて子の存在を確かめた。
即ち「この腹裂くや姫」となる。
姉の岩長姫(イワナガヒメ)は醜女であったという。
怒ったニニギは姫を細かく切り刻んで殺してしまう。
即ち「細石(さざれいし)」となる。
この二人の姫の恨みや祟りを恐れ、魂を鎮めるために建てられたのがこの細石(さざれいし)神社だという。
二人の死を知った父親の大山祇神は激怒し、ニニギに対し「生かしておくものか」と、それまで不老不死だったニニギに寿命を与えた。
以来神の子である人間には寿命が定められたのである。
磐長姫と木花開耶姫が祀られる神社です。
この二柱が同時に祀られる神社は、割かし珍しい気がします。
西隣の三雲南小路遺跡や日向峠との関係も気になりました。
名前 |
細石神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjashi-kensaku/jsearch3jinjashi.php?jinjya=16466 |
評価 |
4.4 |
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恋愛運に良いとされているのを聞いてお礼参りで参拝したが、その後に仕事の話しが舞い込んできているので、大層なご利益があったと痛感しています。
また近所へ行った際には、再度お礼参りをせねばと思っています。