それを見る事が出来るのはありがたい。
遊歩道が石畳で綺麗に敷き詰められているので歩きやすく潮の香りを感じながら朝日、夕陽が楽しめます、猫ちゃんもいますよ🐱
下山門駅から歩いて向かいました。
駅は浜と反対方向にしか改札がないため、改札を出たらそのまま線路沿いに歩いて、一度踏切を超えます。
そのまままっすぐ進むと海岸へ出ますが、実際に元寇防塁が残っているのは海岸へ出て右手へ5分ほど歩いた先です。
防塁跡自体は保存・保護のため柵で囲ってあるので、あまり近くによることはできませんが、写真を撮るには十分な距離です。
この場所で御家人が防衛(褒美目当含)したと思うと歴史ロマンですね防塁越しからの海を望み元の大群勢をどの様に見て感じてたんだろう…考えるだけで歴史好きにはたまりませんね車で行くと駐車場は探さないと行けないのは難点かな?
猫がたくさんいました。
防塁越しに海を見ると、本当に海の向こうから元軍がやって来そうな雰囲気でした。
海岸沿いはきれいな石畳で舗装されていてウォーキングされている方が多かったです。
元寇防塁は弘安の役当初の状態ごよく復元されており、説明板などもしっかり整備されていて、福岡では1番観光向けの防塁だと思います。
こちらは海岸線もほぼ当時のままなので、博多湾をみながら往時に思いを馳せる事ができますよ。
駐車場がなくて、アクセスしにくいのだけが減点です。
20kmに渡る防塁の一部で、生の松原地区の元寇防塁です。
2度めの14万人と言われる元の大群による攻撃を食い止めたのですから大したものです。
島に囲まれた静かできれいな砂浜。
市内からもすぐで、隙間時間に元寇防塁を見に訪問。
元の事前偵察は、台風を想定していなかった点を除けば、ほぼ完璧だったのでは。
急ごしらえとは思えない防塁が続き、今も静かに国土防衛の最前線であった同地の歴史を物語る。
鎌倉時代の遺跡ですが、それを抜きにしても景色がよく、しずかです。
散歩に最適。
駐車スペースが近くに見つからなかったけど、どこかいい場所ないかな?
散歩に最適。
最近猫が多く楽しい。
13世紀の海岸線が此処にある。
蛮国に立ち向かった鎌倉武士団の決意が感じられた。
海岸からすぐの場所にある。
遊歩道は小戸の川沿いから下山門付近まで綺麗に整備されているのでとても歩きやすい。
砂浜の近くにいると、とても癒されるので、海が好きな方にはとてもお勧めの場所である。
外国の侵入侵略への防衛史跡、歴史が語る防衛への重要性。
忘れると歴史は繰り返す。
そんなに見応えはありませんが、海岸散歩中に当時の物が残っていて、それを見る事が出来るのはありがたい。
朝から歩くと🚶波の音、海風がとても気持ちいい‼️ウォーキングに最適な場所を見つけた❗天気がいいとさらに最適‼️
過去の歴史が甦る。
海岸に敷き詰められた大きな石と松林のバランスが良い。
小戸公園に車を停めて(有料)、姪浜方面から今宿方面へ歩くというコースかな。
バイパスとの行き来が出来るポイントが限られているけれども、お天気のいい日には素晴らしいお散歩コースです。
トイレと駐車場が近いと助かります。
生の松原の中にある元寇防塁。
松原の中ということで駐車場は無し、通り沿いにコインパーキンが少々。
バスもコミュニティバスしか無く結構不便な場所です。
でも景色は良いので是非とも訪れて見て下さい。
数箇所ある元寇防塁の中ではおそらく最も整備されているかと思われます。
海岸線も道が綺麗。
駐車場は…うーん。
再現したやつがあって 当時どうだったと思われるのか?が見れるのはいい。
これは本物だよね?っていう感じは今津のほうがあった。
元寇防塁が修理・復元されている。
海岸は遊歩道となっていて眺めも良い。
海面にはヨットがぷかぷか浮いていたが、当時の人々の迎え討つという気持ちに少し浸れたな。
(まあこんなものじゃ無かっただろうが)
教科書で習った鎌倉時代後期の元寇と言われるモンゴルと朝鮮の混成部隊が日本を侵略しようとしたのを防いだ歴史ある場所です。
防塁壁は組み直したものらしいですが、遺構となる石が数多くありました。
当時の海岸線からすれば、壁の高さは写真の壁よりも数段高かったそうです。
良く整備されており一見の価値はあると思います。
ここに石垣防塁はない。
しかし、壱岐神社に一本道でつながっている意味深な木の鳥居がある。
13世紀初めにチンギス・ハンによって統一され、アジアからヨーロッパにおよぶ史上最大のモンゴル帝国を築いたモンゴル族は、1271年に国号を元(大元)に改め、1279年には南宋を滅ぼすなどその支配圏を東アジア・東南アジアのほぼ全域に延ばしました。
南宋の攻略がほぼ完了した1274(文永11)年と1281(弘安4)年の2度にわたって元は日本に遠征軍を送りましたが、いずれも失敗しました。
鎌倉時代のなかばのことで、日本ではこの侵略事件を蒙古合戦・蒙古襲来・元寇、あるいは文永の役・弘安の役などとよんでいます。
朝鮮半島にあった高麗を服属させた世祖フビライは、次に日本に対して朝貢と国交を迫りました。
これに失敗すると、高麗兵を主力とする約28,000人の兵力で博多湾に侵寇し、日本軍と激戦を展開しましたが、たまたま大暴風雨で兵船が壊滅的打撃を受け、撤退しました(文永の役)。
元の再襲を恐れた日本は博多湾岸の今津から香椎にいたる延長20kmにおよぶ石築地(元寇防塁)を築くなど、防衛体制を整えました。
南宋を滅ぼした元は蒙古・漢・高麗人からなる東路軍と旧南宋軍を主力とする江南軍の計14万人の兵力で再び遠征してきましたが、この時も暴風によって兵船を失うなど、得るところなく撤退しています(弘安の役)。
しかし元は日本遠征をあきらめず、3回目の出兵準備を進めていました。
しかし、フビライの死によって断念しています。
この当時、元の前線は延びきっていて、中国南方やベトナムなどで反乱があるなど、体制は万全ではありませんでした。
東アジア・東南アジアではジャワとともに元の支配を免れた日本ですが、それは各地の元への抵抗運動や、遠征軍の主力が厭戦感をもつ被征服者の高麗軍や南宋軍であったことと無縁ではなかったと思われます。
這裡有一整片的松林和很美麗的海岸線, 值得一訪!https://rufiw.blogspot.tw/2017/01/2016_13.html
名前 |
元寇防塁 |
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ジャンル |
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電話番号 |
092-711-4666 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/34 |
評価 |
4.1 |
ここは、猫名所ですね。
是非は言いませんが、早朝複数の高齢者の方が餌やりに来られていました。
そういうことがあるのか、猫も人懐っこいです。
さて、防塁ですが、精巧に再現されています。
蒙古襲来絵詞のように、この塁の前を竹崎季長が馬を闊歩させていたのか、という情景が浮かんできます。