思ったより広く、綺麗にされていました。
その昔は武蔵野台地の端、鬱蒼とした森に囲まれた高台にあった社殿だっただろう。
裏を通る大坂とくらやみ坂の頂上にあるので白子宿の旅人を見守る役目を担っていたのではないかと思わせる。
今では交通量が多い川越街道と笹目通りの交差点に鎮座するわりには境内は静かなのは歴史と諏訪大社の威厳を感じる。
ひとつ、笹目通りを渡った先に諏訪という地名がある。
関係あるのかないのか知りたい。
参拝者は少ないですね。
駐車場なし。
R254沿いの都県境にある神社を見つけてお参りさせていただきました。
入口にはコロナ対策をお願いするマスク着用の立て看板があり時世を感じましたが鳥居をくぐると交通量が多い道沿いなのにココだけ厳かな空気感に変わりました。
参道を進むと右手に稲荷神社があり少し右手奥に御社がありました。
長野の諏訪湖近くの諏訪大社を総本社とする諏訪信仰がこの地にも広まっている事を確認し全国に約25,000社の1社を確認することが出来ました。
社は小さいですが三の酉が有る年には熊手市(酉の市)が開かれる由緒有る神社で地域の鎮守として、近くの熊野神社と共に深く信仰されています。
近隣在住していた時期に週末になるとお参りに伺っていました。
いまでも夏の花火大会は見に行きます。
いつか参拝に伺おうと思っていて、やっと参拝することができました。
思ったより広く、綺麗にされていました。
階段が長かった。
普段はひっそりとした神社ですが、祭りの時は活気があります。
かなり交通量の多い交差点の角にある、小さな神社でした。
けっこう訪れる人も多かったような。
254沿いにある ひっそりとした神社さんでした。
平安時代に地元の有志が信濃の諏訪大社まで行き、勧請して御神体(諏訪大社の御神体は山なので)をわけてもらい、それを祀ったのが起源とされる。
今は交差点の隅に追いやられた形になってるが、本来は和光陸橋全域が神域だったそうで、埼玉病院寄りに本殿があったため、埼玉病院側に諏訪の地名がついている。
江戸時代に白子宿で疫病が流行り、この神社で祈願したらたちどころに回復したことから信仰が広まったとされ、祈願の方法は、ナスをお供えし、祈った後にナスを持ち帰り食す、というもので、(お供え)は、祈願中に神が手を付けると考えられていたので、持ち帰る時には(神よりの賜り物)ということになっていたそうだ。
神が手を付けた物を食すことで、神との縁が結ばれ願いが叶うとされてた。
古代においては、米が貴重品だったこともあり、お供えした米で作った握り飯を(結び飯)と、呼んだそうだ。
この神社が特に賑わうのは、夏祭りと大晦日~元日にかけての初詣。
夏祭りは地元のお祭りならではの賑わいがあって、露店もなかなかの数が出店します。
諏訪神社は白子村字坂上(現在の和光市白子の一部)周辺の氏神さまで、通称「坂上諏訪神社」もしくは「白子諏訪神社」。
白子熊野神社が管理する神社(境外末社?)です。
「埼玉の神社」によれば明治40年に牛房の八坂神社、市場の稲荷神社(豊川稲荷神社)と境内社の氷川神社と共に熊野神社へ合祀されたが社地は残されたそうです。
「和光市史」では市内の他の無格社と違い、村社3社と同列に扱われており、信仰の厚さが伺えます。
賽銭泥棒により賽銭箱が破壊されているため、賽銭の入れ方には工夫が必要です。
名前 |
諏訪神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.6 |
地元の人が多く初詣参拝します。
夏にはお祭りがあり、露店、打ち上げ花火があります。