石室は、高安千塚でも大きい横穴式古墳です。
法蔵寺境内にあり、石室は、高安千塚でも大きい横穴式古墳です。
見学には法蔵寺の許可をいただいて可能なようです。
▪️法蔵寺駐車場の山手にある階段を登ったところに所在する郡川1号墳です。
郡川2~4号墳を含めた高安古墳群の一枝群を成しています。
※詳細は八尾市観光データベースにて。
開山塚古墳(かいざんづかこふん)高安千塚古墳群郡川支群に属する。
法蔵寺境内にあり、明治時代初期に モースが開山塚古墳などを調査・スケッチをして、その成果を「日本におけるドルメン」として紹介している。
平成27年に国史跡に指定。
このあたりからは大阪平野が一望でき、夕暮れ時の景色はお勧めです。
近鉄「信貴山口」駅から徒歩約15分ぐらい。
以下、八尾市観光データベースより。
「法蔵寺境内の山側の尾根には、開山塚古墳(郡川1号墳)はじめとする6世紀後半頃を中心に造られた横穴式石室墳が残されています。
江戸時代に著された「河内名所図会」の法蔵寺境内の様子を描いた部分にもその姿が描かれています。
これらは、八尾市の生駒西麓に分布する250基近い古墳からなる高安古墳群の一支群です。
開山塚古墳という古墳の名称は、江戸時代に曹洞宗法蔵寺を開いた好山和尚の廟塔である清涼塔が、古墳の背後にあることから、名付けられたものです。
石室の全長は、13mを測り、高安古墳群中、最大の両袖式の横穴式石室墳です。
また、大森貝塚を発見した米国人の博物学者、エドワード・S・モースが、明治12年(1879年)に精密な図の作成を行うなどの調査を行い、欧米の学界にいち早く紹介した古墳でもあり、考古学の学史上も重要な役割を果たした古墳です。
郡川2号墳、郡川3号墳、郡川3-B号墳、郡川4号墳は、開山塚古墳に比べると、小規模な横穴式古墳です。
郡川2号墳は片袖式の、郡川3号墳は両袖式の横穴式古墳です。
郡川3-B号墳は、郡川3号墳の墳丘裾で確認した無袖式の横穴式石室墳で、7世紀の初め頃のものです。
郡川4号墳は、石室の全長が8m前後と考えられる横穴式石室墳です。
開山塚古墳をはじめとするこれらの古墳は、高安古墳群の一支群のありかたを現代に伝える貴重な文化財として、平成16年度と平成17年度に八尾市指定史跡になりました。
【出典:『史跡の道・ステンレス製説明板』(八尾市教育委員会、2006年)】」
名前 |
開山塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ

6世紀中〜後半に築造されたとみられる径約30m、高さ約6mの円墳で、立入り可能の両袖式横穴式石室を有しています。
アプローチは法蔵寺駐車場から、山の斜面にある墓地に向かう階段(階段登り口付近に古墳説明板あり)を登り、階段頂上手前右側に、案内板とステンレス門扉があります。
石室は羨道が長く、玄室の規模もなかなかで、さほど苦労なく石室内部に入ることが出来ました。