鎌倉時代の事として次のような伝承がある。
神聖な雰囲気が感じられます。
とても由緒ある史跡の様です。
鎌倉時代の事として次のような伝承がある。
太宰府横岳(よこだけ)崇福寺(そうふくじ)に聖一国師(しょういちこくし)【円爾弁円(えんにべんえん)】という有名な僧侶がいた。
夢枕に菅神(菅原道真)があらわれ禅の教えをこうた。
国師は自分の師である宋の仏鑑(ぶっがん)禅師【無準師範(ぶじゅんしはん)】を紹介したところ、菅神は一夜のうちに宋に渡りたちまちに悟りを開いたという。
悟りの証として仏鑑禅師から衣を授けられた菅神は、再び聖一国師のもとに現れ衣を託したという。
そののち聖一国師の跡をついだ鉄牛円心(てつぎゅうえんしん)のもとに再び菅神があらわれ、託した衣を1ヵ所におさめて祀ってほしいといわれ、それをおさめたところが伝衣塔という。
文永十年(1273)再び菅神が現れ、その地で毎年衣を拝護するように告げ、創建された寺がその横にある光明禅寺と伝える。
渡唐(宋)天神信仰を物語る話である。
昭和になると出兵兵士に贈る千人針にこの伝衣塔の苔をむしって縫い込んだため、苔がすっかりなくなったという。
中国に渡り、一夜のうちに無事に戻ってきた菅神の故事に、庶民の切ない願いが仮託されたものである。
管原道真ゆかりの地鎌倉時代の中ごろ、太宰府の横岳崇福寺に円爾(えんに)という坊さんが住んでいました。
ある夜、円爾(えんに)のもとに菅公が現れ禅の教えを請われた。
円爾(えんに)は自分にはまだその力量はないので、師である宋の仏鑑(ぶっかん)禅師を紹介した。
菅公は一夜にして中国に飛び、仏鑑禅師に教えを請い、たちまち悟りを開かれ、その証に衣をさずけられ持ち帰りました。
菅公はすぐに円爾(えんに)のもとに現れその衣を託したと伝えられます。
それから30年後、円爾(えんに)の後を継いだ博多承天寺の鉄牛円心和尚のもとに菅公が現れ、預けた衣を一ヵ所に収めて祀ってほしいといわれた。
そのお告げのとおり衣を収めた場所が伝衣塔であり、光明禅寺の起こりであると伝えられています。
日中戦争のさなか出征兵士に贈る千人針にこの伝衣塔の苔をむしり、縫いこんだという。
菅公が無事に帰ってきた故事にちなんでのことであろう。
菅原道真ゆかりの地。
名前 |
伝衣搭 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
太宰府天満宮、道真公に関連する史跡。