名前 |
藤尾城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
ここ藤尾城は室町時代、香西氏十八代佳清の時代に土佐長宗我部元親の讃岐侵攻に備えて北に芝山城南に作山城が有り、その中央に西の山を背に鎮座する宇佐八幡宮の藤尾山に天正三年(1575年)に新城を築き始め天正五年(1577年)に完成を待たずして佐料城から藤尾城に移ったと伝えられる。
城は丘陵頂部の八幡宮が所在する部分が本丸で1段下がった西側の平地が二の丸的な様相を呈している。
また丘陵周辺には「堀ノ内」「北の丸」等の地名が残っており、地割りから城の平面形は変形五角形を呈していた可能性が有る。
長宗我部軍に和睦後、天正十三年(1585年)に豊臣秀吉による四国攻めで長宗我部軍他四国勢は平定され藤尾城は廃城となり慶長七年(1602年)に再び宇佐八幡宮が遷座されました。