親不知を遠望できる広場(展望台)です。
ちょっと、ここいらで休憩のポイント。
ちょうど、カーブの所にあるので、左右よく見て十分に気を付けてから、道に戻った方がよさげです。
親不知を遠望できる広場(展望台)です。
展望台の他は公衆電話と簡単な案内板、母子像があるだけです。
駐車場は明確なスペースで区切られていないので、先に駐車している車の駐め方に倣って駐めている様な感じです。
駐車場は崖(擁壁)際のブラインドカーブの外側にあるのと、国道8号は意外と交通量があり、カーブの先は糸魚川方面、富山方面ともにスノーシェッドがあるので通行する車の状況が分かりにくく出入りしにくいです。
40年くらい前は、ここに売店と自動販売機があった様に記憶しています、車数台しか停められないのですが結構良い景色です。
夕焼けが映えるポイントです。
一度海岸まで降りてみたいのですが、どこから降りていけるのかよく分からないです、今度地元の人に聞いて見ます、波にさらわれない様に気おつけて降ります、笑笑。
日本1周も果たし2周目スタートの針路は先ず僕の棲む太平洋岸から日本海へ出て、ひたすら北上中に此処を見つけた。
昔、此所は北陸道最大の難所で日本海の荒波が削った高さ400mもの断崖絶壁と海の間の狭い陸地を引き波時に何度かに分け走って通り抜ける命懸けの場所だった、其処が見渡せる1番の観望台だ。
一つ地元に残っている話しが有るので紹介しよう、壇の浦の戦いから落人に成った平頼盛が今の長岡に居ると知った夫人が京都から二歳の子を連れ此処へ差し掛かった、地元の人は明日の方が波風も収まるからと云うのも聞かず子を帯と胸で抱き走り渡る途中、砂に足を取られ前のめり、子を落とし波に拐われてしまったと云う。
悲しみの余り詠んだ「親不知 子は此の浦の 波まくら 越路の磯の 泡と消えいく」此の歌が当地の由来に成ったと云う説もあるが······ただ多くの人が亡くなった難所なのは間違いない。
平成26年親不知子不知の一部が奥の細道の風景地“親不知”に指定されました。
*平頼盛は当時六波羅の前線から御所隣の八条院に移り朝廷庇護下に有ったので、あり得ない創作話だが秀逸なので“昔ばなし”として書き記した。
小さいスペースなので停め方によっては入れない場合があります。
コーナーの途中なので、出入りには注意しましょ。
突風注意です。
ちょっと疲れた時に休憩できるスポットです。
展望台があり眺めがとてもいいです。
カーブの途中にあり、糸魚川方面から来た時は入りづらいです。
対向車にも注意を。
景色がいいです。
荒波の打ち寄せる海岸にある駐車場です。
名前 |
親不知記念広場 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
駐車🅿️🚗スペースが狭い。
景観は素敵に観れます。