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名前 |
名取郡北方検断屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
2021年12月13日に訪れました。
江戸時代慶安3年1650年に2代藩主伊達忠宗公が、奥州街道を整備した際に設けた検断所です。
この時に北町検断に抜擢されたのは、村の肝入であった菊地氏だそうです。
この御役目は、幕末まで菊地氏が受け継ぎました。
菊地氏のご先祖様は、増田神社の菊池氏だと思いますが、違っていましたら教えて下さい。
菊地邸は、伊達藩参勤交代の休憩所兼宿所として重きをなしました。
維新後は、増田村・町役場として活用され、明治天皇の東北地方御巡幸でも御休憩所になったそうです。
元禄2年1689年には、松尾芭蕉と曽良も、この前を通過したはずです。