名前 |
宗念堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
江戸時代中期終わり頃、凶作と佐渡奉行所による慈悲なき二年連続強制年貢増で佐渡の農民は飢餓寸前まで苦しみました。
その実情を江戸表へ出て訴えようと島内全村代表として辰巳村(八幡付近)名主の片岡太郎右衛門が訴状を書き、他有志の者らが死罪覚悟で海を渡り江戸に上りました。
これを寛延の越訴(または一揆)といい、直訴の主導者実行者らは義民と呼ばれました。
太郎右衛門の訴状は勘定奉行に伝わり、佐渡奉行罷免ほか不正な役人52人が獄門死罪遠島などに処され、島民勝訴する結果となりました。
しかしながら、農民百姓には強訴罰として、名主の太郎右衛門と出国した弥次右衛門(椎泊村)の2人が死罪。
他の惣代は遠島1人、財産没収で10人が追放となりました。
命をかけた一連の佐渡一国義民は皆尊いと、感銘を受けた島民が早くから所縁の供養塔を建てており、今日まで遺っているものが各所にあります。
この宗念堂は、名主の太郎右衛門が屋敷内に建てたお堂で、太郎右衛門の墓と顕彰碑があります。