中世の城郭としてはかなり良い状態を保っている。
初めてこの城に行った時はこんな場所に城跡が?と思いましたが、すぐにその思いは払拭されました。
小さいながらも堀があり、その内側には立派な土塁がありましす。
ただ、中心部は畑となっています。
廻りの堀がゑにしを感じさせる唯一の遺跡。
大事な遺産です。
家庭排水?も入っている?もう少し、手を入れて欲しいと思いますが。
土塁や堀が残されている。
説明板と石碑あり。
駐車できないことはないが正式な駐車場はありません。
トイレもなく、雑草が蔓延っています。
県史跡に指定されている方形居館跡、四囲を土塁と水堀が囲繞しています。
土塁の高さもかなり高く、4mほどあるだろうか。
ただ北辺の一部が崩落しかけているので注意が必要です。
平岡氏の居城です。
掘、土累はしっかり残ってますが中は畑にしているようです。
河野家の重鎮、平岡氏の居城跡です、昔は農耕地だったけど、整備されたみたい。
土塁跡も大手口もかなり、残り、水を蓄えた堀、もさすがですね❗
鎌倉から室町にかけて(それ以前からも)伊予の国を治めていた河野氏傘下の18将の筆頭であった平岡氏の居城でした。
四角形の城郭で堀は有りますが石垣は当時からなかったようです。
豊臣秀吉の四国統一により落城しました。
堀の上の土塁は歩けます。
古の昔に想いを馳せながら散歩するのも乙なものです。
中世の城跡。
城郭は残っていませんが、約15〜20mのお堀が、昔の佇まいを今に伝えています。
案内板によると、豊臣秀吉の四国統一の時に、道後・湯築城とともに滅ぼされたのだとか。
中世の城跡。
城郭は残っていませんが、約15〜20mのお堀が、昔の佇まいを今に伝えています。
案内板によると、豊臣秀吉の四国統一の時に、道後・湯築城とともに滅ぼされたのだとか。
1335年以前に築城された平城の跡地です。
建物は残っていませんが、お堀と土塁から当時の状況が推測できます。
水堀と土塁の保存状態が大変よく、中世の城郭としてはかなり良い状態を保っている。
中世平城の堀と土塁がこれだけ良好な状態で残っているのは珍しいと思います。
アクセスも良いのでお奨めの城跡です。
保存状態:〇 アクセス:〇 整備状況:△
名前 |
荏原城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/bunkazai/ken/ebarajou_ato.html |
評価 |
3.6 |
小学生の頃遠足で訪れた場所です。
40年も昔の話しですけどその当時はお城(建物)が有った記憶が有ります。