新羅から逃れて来た女神と伝えられている。
赤留比売命神社(三十歩神社) / / / .
平野区の平野公園(松山公園とも呼ばれている。
)内にある有意書有る神社。
5月にはこの公園を中心に赤留姫(あかるひめ)祭りが有るが、コロナの影響でここ2年は行われていない。
写真アップしておきますので、お越しの際の参考にして頂けたら幸いです。
赤留比売命神社あかるひめのみことじんじゃ大阪府大阪市平野区平野東2丁目10祭神赤留比売命阿加流比売神とも書く赤留比売命は日本に銅文化もたらした新羅の王子である天之日矛(アメノヒボコ)の妻最初は夫婦仲円満であったが天之日矛がわがままになり赤留比売命は半島から日本に逃げ最初は大分県の姫島に行く現在も姫島には比売語曽社(ひめこそしゃ)という小社があります大分県では半島に近いので捕まる恐れがあり遥か浪速にまで逃げ延び大阪市平野区に鎮まる天之日矛はその後日本各地を移動し最終的には但馬国の出石神社に鎮まるなお神功皇后は天之日矛の子孫です平成天皇は皇太子時代、天皇になってからも半島南部の画像を見ると我が故郷を見る思いと述べられましたが当時アレーそんな事いってもいいのかと思いましたが天之日矛伝承とかから天皇家は半島から来られたと思われます2021/4/21 参詣。
公園の西にあります。
御祭神:阿加流比売神創建は不明ですが、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に当社の名があり、平安時代には既に鎮座していたと思われます。
別名、三十歩(さんじゅうぶ)神社とも呼ばれ、江戸時代の地図にも「三十歩明神」と記載されています。
当地の地名も古くは三十歩町であったようです。
御祭神の阿加流比売神は古事記に登場する女神で、朝鮮半島の新羅を舞台に、ある女性が赤玉を産み、その赤玉が変化した女神です。
阿加流比売神は後に新羅の王子・天之日矛と結婚しますが、夫が妻を罵るので阿加流比売神は夫のもとを離れ日本に渡来し、比売碁曽社の神となった歴史があります。
拝:2021/03/30
杭全神社の境外摂社である三十歩社。
祀られているのは赤留比売命。
渡来してきた女神です。
ご利益は女性の社会躍進と聞きました。
1度行ってみてはどうでしょう?
遠い遠い神代の時代、新羅の国からひとりの女性が逃れてきた。
アカルヒメノミコトである。
新羅の王子から逃れ、日本の地への勇気ある逃避行。
それが元になりアカルヒメノミコトは決断と行動の神様になったという。
小さな境内は静寂だが、なんだか不思議な活気があるように思う。
野堂東組と杭全神社で管理しています。
アカルヒメは、赤い玉の石であり、新羅の太陽の女神で、ツヌガアラヒト=アメノヒボコの妻。
記紀にも記述があるアカルヒメは、新羅の水辺である女性が昼寝をしているときに太陽光が女陰を射したため懐妊して赤玉の石を生み、その赤玉をアメノヒボコが手に入れたときにアカルヒメとなり、妻となって一緒に海を渡り、豊国の国東にある姫島や難波の姫島にやってきたが二人の仲はうまくいかず、アカルヒメは祖国へ帰ったというヒメコソの伝承がある。
その難波に残る伝承地は複数存在し、この神社は社名の通り赤留比売命を祭神としています。
アカルヒメは大阪の姫島にある姫嶋神社の祭神にもなっているし、ここから近くて北にある比賣許曾神社も気になる。
アカルヒメに関しては謎が多すぎてこの地との関係はよくわからなかったけど、ここは弥生時代の環濠集落遺跡でもあり、公園になっていてその一角に境内がありました。
追記:アメノヒボコとアカルヒメは一緒に日本へ渡ってきたと書いてしまいましたが、この部分は現地情報からではなくネット情報でにわか勉強による勘違いだったので訂正します。
新羅にいるときにアカルヒメが東の祖国へ帰るといって難波の比賣許曾へ来たようで、それを追いかけアメノヒボコもやって来たと。
それでさらに、アカルヒメは豊国の比売語曽に逃げたようだ。
しかし、いったいアカルヒメは新羅の神なのか日本の神なのか。
赤留比売命神社の案内板では新羅の女神と説明していたので、わたしは新羅に帰ったのだと勘違いしたようです。
u202a古事記は新羅を悪い印象で書いてるけど、ここでは新羅は悪で日本は善と決めつけるのは避けたい。
u202cアメノヒボコの子孫に、新羅に敗れた神功皇后がいる。
日本書紀の同一人物とされる加羅のツヌガアラシト。
加羅=任那とすれば渡来人とか日本人という分け方もなく、難波を祖国と呼んでもおかしくない。
それに母親は日光感精神話で生んだのだから、父親である太陽神が日本の神を意味しているのかもしれない。
そしてアメノヒボコとアカルヒメの間には子供がいたらしい。
難波に入れなかったアメノヒボコは但馬にたどり着き別の女性と再婚するが、二人で連れ子を育てたとも。
謎だらけなだけに重要な歴史が隠されているに違いない。
日本の皇室にも深く関わる半島とのつながり。
その歴史である記紀が書かれた当時、天智と天武という百済と新羅の勢力争いでぐちゃぐちゃにされてるのだから。
新羅より渡来の女神、赤留比売命を祀る。
俗称の三十歩神社は、応永年間(1394~1428年)干ばつのとき、法華経三十部を読誦したところ霊験あらたかであったので、三十部神社がなまったものという。
また一説では祭神が「三十町歩」の土地を三十歩と聞きまちがえたためとも伝え、耳の神として信仰を集めた。
社殿背後の土塁と松山池には、かつての環濠集落の名残りが見られる。
式内社 摂津国住吉郡 赤留比売命神社(あかるひめのみことじんじゃ)御祭神: 赤留比売命(阿加流比売命) 通称 三十歩社 当社の祭神、赤留比売命は天之日矛の妻で、新羅から逃れて来た女神と伝えられている。
創建は詳かでないが、当地を開発した渡来氏族の氏神。
一説には、赤留比賣命神は丹波の国の比遅(ひぢ)の麻奈韋(まなゐ)に遷り、豊宇可乃売神(豊受大神)として伊勢外宮の祭神となったという説もある。
社殿背後には、平野郷が戦国時代に自治都市として栄えた環濠集落の名残として土塁と松山池が見られる。
名前 |
赤留比売命神社(三十歩神社) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
大阪府大阪市平野区の神社。
式内社。
三十歩神社とも云い、三十歩町の地名による。
主祭神=赤留比賣命。
新羅国・アメノヒボコの妻。
赤留比賣命、出生は次の通り。
太陽神と身分の低い者(賤女)の子とされる。
新羅国にて、沼で女が赤い玉を産んだが、ある男が貰い受けたあと、アメノヒボコに会った際、山へ牛を運んで食べると勘違い、釈明の際、赤い玉を差し出した。
アメノヒボコが持ち帰ると、赤い玉は美しい娘になった。
アメノヒボコは娘を正妻としたが、妻と喧嘩し罵ったところ、親の国に帰ると難波へ逃げた。
比賣許曾神社に鎮まるとされるが、祭神は下照姫命であり、阿加流比売神ではないとされている。
摂津国風土記では、姫嶋神社(大阪市西淀川区姫島町)とともに、当社を該当に挙げる。
なお、比売許曽命は天津彦根命の娘と伝える系図がある。
アメノヒボコ関連社。
古事記ではアメノヒボコ、日本書紀では都怒我阿羅斯等と示される。
アメノヒボコは、難波に入られず、応神天皇記では、但馬国に停泊、そのまま留まり、多遅摩之俣尾の娘・前津見を娶り、多遅摩母呂須玖を産んだ。
玉津宝(8種)も。
関連として、兵庫県豊岡市出石町の出石神社(アメノヒボコ)、大阪府大阪市東成区の比賣許曾神社(下照比売命)、大阪府大阪市西淀川区の姫島神社(アカルヒメ)を挙げたい。
現地は、JR平野駅の東南1Km。
駐車場がない。
周辺は民家。
大阪市消防局平野消防署前に有料駐車場があり、最も近いので使いたい。