ご住職さんは素晴らしく優しい方です。
春、桜の季節はなかなか風情があります。
毎年ではありませんが、あの辺りを通行していて機会があれば、寄ってみています。
のんびり時間が過ぎていく感じがするのも良いですよ。
2018_3_22_朝7時過ぎ…撮影のみです。
近いので近々…。
因みに丹原町 久妙寺と同派…。
俳人 小林一茶 が 訪れているとは 知りませんでした。
それにしても… 出直します!。
が 簡単に言いますと 神の道の 途中に 実報寺が あるのではと。
(聖帝山の意味 が 気になります。
)電話では失礼なので 今度お伺いした折にでも…。
(予備知識…として このお寺 元来ここにあったかどうかは別にして 貞観10(868)で11代住職となっております。
開山は恵隠法師 正式名 聖帝山 実報寺。
弘法大師のお産まれが 774。
死亡835。
710(和同3)元明天皇 都を 藤原京から 平城京へ。
建物他全て移した為 藤原京は田んぼになった。
弘法大師10歳の時 784長岡京へ遷都。
(それ以前は弟国宮(おとくにのみや))と呼ばれたらしい…。
但し日本書紀に依る…。
)。
つまり 真言宗御室派 は 後に…。
それ以前の このお寺の存在意義…。
恵隠法師とは…?。
聖帝山とは 何を指すのか…?。
個人的には 益々気に成りますので…。
)。
余談地元丹原町と周布地区の間に建つ 愛媛県丹原支局…。
この一帯を横断して 今治小松自動車道が 通っております。
元来道路好きの私は 高速道路の建設現場を見に来ていました。
良く覚えていますので 記しますが 埋蔵文化財の関係者と思われる方々が 来られて調べられていました。
現場には 直線状に並んだ 柱(建物の基礎と思われる…)の穴が無数に在ったのです。
当時 何の知識も関心も無い私でも ああっ…建物跡だな と思ったものです。
あれから 特に何か出た!などと言う記事も話も聞きませんので 大した物では無かったのかも知れません。
が… 今にして思えば 何の建物跡だったのか… 当時 発掘に従事された方々にお聴きしてみたい気持ちになりまして…余談で有りますが念の為。
)。
下記は勿論推論です。
古くは当時の天皇がお気付きになられ… 空海上人弘法大師… 菅原道真公… 一遍上人 …関白豊富の秀吉公……同じ道(路)を 辿っでおられたのでは無いかと 思うので有ります。
樽原高原一帯から 谷を通り 綱敷天満宮 大山祇神社 出雲大社……と。
そもそも神仏一体… 出直します…。
小林一茶は西暦1795(寬政7)実報寺をわざわざ訪ね 1本の桜を見て俳句を残している様です。
遠山と見しは是也 花一木 一木一草(いちぼくいっそう)はよく使われるのだとか…。
要するに1本が全て!。
… 主観と言いますか 小林一茶…という方…今日は目の前の桜を観ているのだけれど 本当は 千疋の桜まで行って 在りし日の 太古を想像し 偲びたかったのだ…と 伝えているのではないかと思えるのですが…。
徳川幕府の手前 一茶の生きている時代は 隠語を駆使しなければ 本当の気持ちを伝えるのはむづかしかったのでしょう…。
瀬織津姫に想いを馳せはしますが 無理矢理 実報寺と結び付ける事をしたかったつもりはなかったのですが…。
こう 解釈してしまいまして…。
過ぎたればご容赦下さい。
2018_3現在 こう読めば 旧周桑地区一帯の古代の歴史観と重ね合せて 個人的には すんなり 懐に 落ちるのでありますが…。
誤解を恐れず申せば 実報寺の境内を 千疋の桜高原一帯の借景として 見た… 小林一茶の本意だったかも知れません…。
因みに 出雲大社と千疋の桜に 結び付きがある事はご存知かと…。
いづれにせよ 1500以上の昔の回顧…。
これも 一種のロマン として 捉えて頂ければ幸いです。
(なんせ ひとり想いですから…)…。
丹原町の久妙寺もそうですが 実報寺という地域名が 残る事で 語り継ぐ人が必ず 現れる…。
ああっ… 七夕の夜に こちらから登って往年の恋話…織姫と彦星…見てみたいとも想いましたので…。
もちろん鈍川温泉側からのアプローチも いいかと…。
おお昔… あった気がして来ませんか?。
石鎚山…東方三ヶ森一帯… 紅白梅…赤と白 …。
満開の桜見て 偲ぶのが やはりいいのでは ないでしょうか。
だからこそ 西条市上市の 甲賀八幡の古墳群も なんとなく 頷ける様に思えても 来るのです。
名前 |
実報寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0898-66-5468 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
「一樹桜(ひときざくら)」という美しいエドヒガンがあります。
2021年は3月23日に満開でした。
お寺の裏にも何本も桜の木があるので、そちらも合わせてごらんくださいね♪