日本でも数少ない円筒分水のある公園。
以前子供から聞いていて気になっていた場所。
川崎市内にこんな場所があるなんて思っていなかったので、休日に息子の案内で尋ねてみました。
普通の住宅街からちょっと離れた場所に有るのですが、実物は思った以上に規模が大きくてビックリ。
にしても昔の人は、良く考えてこんなものを作ったんだと感心しました。
円周の比率で4箇所に水量を配分している。
少ししか分水されない水路もあってなんだか寂しい気持ちになった。
近くの電柱に「ふるさとアーカイブ」として昭和20年にはここで水浴びをしていた写真があった。
サイクリングで訪れました。
心癒される水の遺跡…多摩川サイクリングコースから平瀬側沿いに行くと、簡単にアクセス出来ます。
水関連の景勝地が好きな方には好適な所です。
昭和の初期に、農業用水を平等に分配するための円筒分水という設備です。
地下から湧き上がってくる水が円筒から溢れ出し、円周を等分することで各方向に平等に水が分配されます。
住宅街の中に突然現れますが、周囲の雰囲気にあっていて、なかなか趣のある施設だと思います。
街中に残る農業用施設です。
水の少ない時期の写真なので、少し分かりにくいですが、夏などは真ん中の小さな円の中から水が溢れ出て各水路に水が配分されていく構造です。
二ヶ領用水。
円筒から溢れる水を決まった水路の分量に分ける。
昭和16年。
高い技術を感じられる。
地元の人たちによる保存運動が素晴らしい。
しっかりとした解説看板が掲げられた国の登録有形文化財。
円筒分水自体の詳しい解説は看板や他の口コミに譲ります。
周辺はベンチや芝生などが揃っており、散歩や散策の合間に一休みするのにぴったりです。
分水から伸びる用水路沿いの遊歩道もきれいに整備されており、水の流れを追いかけて用水路の歴史を辿るお散歩ができます。
二ヶ領用水の水を定められた比率で分水するための施設。
国指定の登録有形文化財。
駐車場なし。
1941年(昭和16年)建造。
用水を流れる水の多寡にかかわらず一定の比率で水を分けることができる、当時としては画期的な設備。
ゆったりと水が流れ、各用水に分けられていく様子はとても静かで美しい。
周囲は緑地として整備されていて、散策にはうってつけです。
岡本かの子さんの歌碑を見に行った帰り何気に道案内に『久地円筒分水』の文字 テレビで紹介されてたのを思い出し行ってみました サイフォンの原理を利用した農業用水の施設なんだとか 道を挟んだ川にも水量調整のような場所でそちらも惹かれるものがありました。
水争いを解決するための知恵と技術の円筒分水、とてもきれいに整備されています。
また今に寄り添った素敵なメッセージがありました。
国の登録有形文化財に登録されている分水樋です。
二ヶ領用水の水を決められた一定の比率で流すためのもので、当時としては画期的な技術が用いられているようです。
春になると桜がキレイな場所です。
閑静な住宅街の中にありますが、一度は寄ってみるのもいいかと思います。
まだ3月20日ですが桜の開花が始まりました。
ここは、とても落ち着く陽だまりといえるような場所です。
元は農業用水を公平に分配する為に作られた施設。
春には桜が咲き居心地の良い場所で、二ケ領用水の散策ポイントの一つ。
多摩川などを水源とする神奈川県下で最も古い人工用水といわれる二ヶ領用水。
それを各地域に均等に分水する場所です。
水争いを無くすために、中心の円筒に噴き上がってきた水を各堀へ均等に供給しているそうです。
もちろん今も現役です。
きれいに整備されているこの場所は、国の登録有形文化財に登録されています。
教科書でしか見たことがなく、一度は訪れたい場所でした。
意外にも住宅が佇むところにあって、予想以上に大きかったのが印象的です。
小川がずっと流れているので、ランニングにちょうど良く、桜の時期は最高です。
小川の方には魚がたくさん泳いでいて、カモなどもいます。
憩いの場です。
二ヶ領用水の原点になるのかなおお、こうなってるんだ、という感動はあるが、歩いていくとちと遠い。
歴史ある円筒分水。
春は傍らの桜がきれいだ。
円筒分水は通水時と止まっているときがある。
新平瀬川の水流の音も心地よい。
1941年にできた水量に関わらず、一定の比率で分水することができる理想的な自然分水。
慶長2年(1597)、江戸幕府代官の小泉次太夫(こいずみじだゆう)によって稲毛(いなげ)・川崎二ヶ領(にかりょう)用水の測量・工事が開始されました。
現在の多摩区中野島地域から多摩川の水を取り入れる用水工事は、約14年の歳月を経て完成しました。
その後、中野島の下流、宿河原にも用水取水口を新設し、さらに用水による灌漑(かんがい)面積を増加させました。
中野島・宿河原取水口から引水した二ヶ領用水は、久地(くじ)村で合流し、同村に設けられた分量樋(ぶんりょうひ)によって4つの堀に分けられました。
この分量樋は、用水の流れをそれぞれの堀の流域の灌漑面積に比例した木製の樋(水門)によって分ける施設です。
こうして二ヶ領用水は、流域の広大な水田を潤し、近世川崎地域の生産力を高めたのです。
しかし、一方では水騒動という用水をめぐる争いも起きています。
日照りなどのさい、下流の村々では自らの地域の用水量を増やすため、分量樋の他の地域への流れをふさぎました。
当然ふさがれた地域では、これに対し訴訟を行ったり、時には実力行使に及ぶこともありました。
このような水騒動は、その後もしばしば発生しました。
明治維新後も、二ヶ領用水は地域の農業用水として活躍し、多くの水田を潤してきました。
そして近代技術が発展すると、それまで水騒動の拠点であった久地の分量樋にかわって、昭和16年(1941)にコンクリート製の円筒分水(えんとうぶんすい)が造られました。
この円筒分水は、中央の円筒から用水を湧き上げ、その外側にある直径16mの円筒の円周から、それぞれの灌漑面積に合わせた比率によって4本の水路に流す仕組みになっています。
用水の水の増減に関わらず、一定の比率で分水するこの円筒分水のシステムは、当時としては最も理想的かつ正確な自然分水方式の一つであり、その後、近年に至るまで全国にこのシステムが採用されていきました。
二ヶ領用水久地円筒分水は、その初期の事例として、平成10年(1998)、川崎市で初めての国登録有形文化財(建造物)に登録されました。
工業都市として発展した川崎で、二ヶ領用水は本来の農業用水としての役割をほぼ終えましたが、現在では市民の憩いの散歩道として整備され、環境用水としての新しい姿を見せています。
お花見にgood‼️込み合わずファミリーな雰囲気😄
日本でも数少ない円筒分水のある公園。
サイフォンの原理を利用し水を4分割する造りは原始的に見えつつもダイナミックな佇まいに圧倒される。
昭和16年製ではあるがそれ以上に歴史を感じさせる空気がそこにはある。
かつて農民同士での水を求めた争いに終止符を打った久地円筒分水はまさに救世主というべき存在だったに違いない。
今回は偶然にも水抜きされた円筒分水を見ることができ貴重な体験となった。
場所も非常に静かで円筒分水の脇にある2本の大木も雰囲気に合っており一見の価値はある。
残念な点としては円筒分水を囲うフェンスの高さが1m以上あること。
子どもの転落を避けるためとは言え、邪魔に感じるのは私だけではないと思う。
これから先も現役であり続けてほしいと願う久地円筒分水でした。
かなり期待はずれでした。
事故防止なのでしょうが柵がかなり高く見るのもほぼ柵越し。
水は緑色できれいとは決していえない。
ゴミも浮いてるし。
まあ見て楽しむではなく、歴史を学ぶために訪れる場所かなと。
川崎市の史跡になっていてサイホン式の円筒分水です。
多摩川に流れる平瀬川の下を潜った用水がサイホンの原理で溢れ出て四つの用水路に分水されます。
春には桜が綺麗です。
何かがあるという場所ではないですが、高津区民の散歩の目的地にはちょうどいい場所です。
春は桜がキレイでイベントもあったりします。
夏は蚊がたくさんいるので虫除けスプレーしてから行きましょう。
市民ミュージアムの常設展示で久地円筒分水の存在を知り出かけました。
用水の周りに田畑は無くなり、本来の役割も無くなりましたが、仕組みを学び実物を見ることで、良い経験に成りました。
円筒分水の形が目立ちますが、その手前で川の下を潜り抜け、円筒分水の中央から涌き出す仕組みを考え、実現する昔の人の知恵に驚かされました。
ポケモンGo散歩で、二ケ領用水を武蔵小杉駅からここまで歩きました。
川崎市民なら一度は行っておいても良いかも知れません。
私も川崎在住数十年でようやく訪れることが出来ました。
何というか、住宅街の中にある不思議な雰囲気の空間です。
大山街道ふるさと館で知った。
二ヶ領用水と共に川崎・溝口の歴史を紐解く上で重要な名所。
ふるさと館から歩くと遠いけど一度見ておく価値はあると思う。
水の音で癒やされます。
お散歩の時にたまたま通りかかりました。
7月の暑いときに来たので、水の音が涼しく、気持ちが安らぎます。
昭和16年完成、有形文化財。
農業用水を4つの堀に均等に分水、水争いを解決・毎年3月末「円筒分水スプリングフェスタ」開催・川崎市民ミュージアムの常設展に、仕組みを説明する模型あり。
2005年頃(だったかな?)に周囲をレンガ枠芝生、吸水ブロック等で改修され、造作歴史案内板も見所。
桜並木の散策歩道に整備された。
3月下旬土曜に、地元町内会主催で行われる『久地円筒分水桜祭り』が開催される。
3年前には、近くでアメリカ人の経営の地ビールを一杯500円円で3種類のコク深く美味しい味の異なるエールビールが販売されていました。
ただ夜間はやや暗く人通りが少なく用心が必要。
下流は東急東横線 元住吉駅の先まで続いており、その長さには驚かされる。
友人たちはその源が久地円筒分水だと知らなかったです。
ここから分流され、多摩川とほぼ平行して流れる『二ガ領用水』はボランティアにより清流となり鯉の泳ぐ姿と、桜並木になり、一部川面まで降りられるヵ所もある。
車の通行少なく、ジョギングや、自転車道に適している。
1941年 昭和16年、当時の日本で画期的な技術による、田畑用水の分水嶺の源流地点。
国の登録有形文化財。
サイフォン式。
下から上部に水圧でわき上がった水が、各村地区の面積に応じて、区切られた鉄筋コンクリート升に正確に流れ落ちる仕組み。
江戸時代からの水争いをさらに治める為に造られた。
淀みと流れが美しくデザインされていて楽しめると思います。
246に向かう水路にも鯉がいて滝登り実施中という感じも情趣あり。
名前 |
久地円筒分水 |
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ジャンル |
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電話番号 |
044-861-3144 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
昭和16年(1941年)に完成した「九地円筒分水」。
田中休愚という方が江戸幕府の命により造った分量樋(水を平等に分ける施設)を、昭和になり更に近代化させた円筒分水です。
平賀栄治という方が手掛けました。
古くは江戸時代初期に徳川家康公の命により、小泉次大夫という方が大規模用水路を造り水不足を解消し江戸時代中期に田中休愚という方が、その用水路を再興・分水樋に改良し水の取り合いの争いを解消。
さらに時代は下り、昭和に入りまた水の取り合いの争いが始まったらしく、平賀栄治という方がもっと細分化して水を分けられる様に、九地分量樋すぐ横に「九地円筒分水」を完成させたとか。
これにより江戸時代に始まった九地用水路の分量樋の方は取り壊され消滅しました。
地味な史跡ですが…徳川家康公が「どうする?」と考えた所から始まり、数百年かけて進化して来た興味深い史跡です。
是非に訪問される事をオススメします。