JR京橋駅から近くて便利です。
京橋駅から徒歩で約10分程度で行けます、5階4階が企画展示室で3階がコレクション展の部屋になっていてコレクション展の図録が2750円からで販売してます、
JR京橋駅から近くて便利です。
藤田嗣治展へ行きましたが平日で、夏休み前でしたので空いてました。
作品を近くでじっくり鑑賞できて良かったです。
実物の乳白色の肌は美しく感動しました館内は非常に新しく、一階奥に休憩スペースがあります。
無料で水が飲める点は助かりました。
休憩室の椅子は少ないですが、一人/何分と時間制限の案内が書かれてましたので、待っていれば座れるかと。
土日祝日など、人が多い時は難しいかもしれませんが美術館にしては休憩室の椅子が少なかったので★一つ減らしましたが、立地も良く館内設備など総合的に満足できる美術館でした。
JR、京阪京橋駅に程近くとてもきれいな美術館です。
エレベーターと階段が展自室出入口のすぐ横の同じ場所に作られており、導線がとても分かりやすく楽なように思います。
また、ミュージアムショップの奥には無料で休憩できる場所があり、コーヒーや紅茶、お茶などのセルフサービスコーナーもあります。
京阪京橋駅西口から大阪ビジネスパーク方面につづくデッキを歩いて5分ほどですJR京橋駅なら南口を出て右手に曲がって寝屋川沿いに歩いて環状線のガードを潜るとすぐ寝屋川を渡る橋がありますこれを渡っているとと向こう岸の西側のほうに山王美術館と外壁にある建物がもう見えますこちらも5分ほどです少し入口が分かりづらいかも知れませんホテルの1階の裏口に進むアプローチの途中で左手の脇道に入ります気品のある素晴らしい美術館です1階の奥に小さなミュージアムショップとうれしいことに無料のコーヒーマシンがありますベンチが有りますから鑑賞のあと一息入れる事ができます。
桜咲く川辺りから、一歩館内に入ると、とても静かでゆっくり作品が鑑賞できた。
画家の藤田嗣治(ふじたつぐはる)は様々な経歴の持ち主であり事欠かない!後年、フランス国籍を取得したが奇抜な風貌で、チョビ髭にオカッパ頭.......⁇まず、嗣治の父、嗣章(つぐあきら)は明治·大正期、軍医であり文豪、森鴎外の後任として陸軍軍医総監を務めている‼ なんと森鴎外の勧めもあり、嗣治は現東京芸術大学美術学部で学ぶ(1905年)。
在学中は当時、印象派などの写実的な黒田清輝らの明るく美しい技法が主流! しかし彼の作品は文展でも全て落選でくさっていた........!しかも嗣治はそれらの絵に対しの技法に興味が持てなかった為に観劇、旅行、吉原遊廓行脚⁇などにも興味を示していたという........以後、彼は反発の意を表し、黒を基調としたモノトーンな画風を好む!彼は生涯6人妻を持った‼1912年に最初の妻(登美子)は美術教師であったが、突如!1913年に妻を残し単身渡仏する⁈その間、現地ではピカソやモディリアーニやジャン・コクトーらと親交を結ぶ‼ また、フランス人と2度目の結婚! しかし一年で破綻したという........。
渡仏してからも、彼の画風はそこはかとなく暗い。
絵の中、子供の表情も笑顔がなく、寂しそう......‼1918年第一次世界大戦が終結!3人目の妻とは嗣治の作品に人気が出てきた為に環境の変化か?フェルナンドとも離婚!4人目のリシューとは美しかったが酒癖悪く、離婚!5人目のマドレーヌは脳溢血の為に急死!!1935年に帰国してから、25才年下の「君代」と一目惚れで結婚に至る。
1938年からは中華民国に渡り従軍画家として活躍し、1939年には帰国して「アッツ島玉砕」などの戦争画を手掛ける........。
戦後、GHQなどの追求もあり1949年に日本に永久に別れ、1955年にフランスに帰化する!それぞれの絵の小さなカンバスには、タイル等にも目を凝らして見ると、手を抜くことなくリアルなほど精緻に表現している!遂に1957年にはフランス政府からレッジオン·ドヌール勲章を贈られている。
日本に於いても戦後、瑞宝大綬章を授かっている。
尚、「Foujita」とは⁇「FouFou(フランス語でお調子者の意)」と呼ばれ、フランスでは知らぬ者はいないほどの人気を得ていたといわれている........。
名前 |
山王美術館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6942-1117 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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まず入り口で、お二人の上品な女性スタッフが出迎えてくださいます。
週末に行きましたが、それほど多くの方がいらっしゃらず、ゆっくりと絵画を鑑賞出来ました。
リフレッシュ出来て良かったです。