明治10年にここにうつされたようです。
豊臣家そして織田家の栄光の最後を飾り、大阪夏の陣でなくなった淀殿のお墓が太融寺の境内の片隅にひっそりと建っています。
太融寺の境内の片隅にひっそりと淀殿のお墓が建ってます時代劇や小説なんかではなかなか好人物に描かれることの少ない女性やけどこうして墓前に立つと不思議と淀殿の気持ちがわかるような気がしてきます三度の落城経験のなかで父母を失い最後の落城の際には最愛の息子とともに生涯を終えるという凄まじく苛烈な人生だった淀殿…辛かったやろなーお疲れさまでしたゆっくり眠ってください。
大坂夏の陣にて大坂城の北側で自刃したと言われている、茶々様の本当のお墓だそうです。
背後の名もなき小さなお墓にも、ぜひ手を合わせてあげて欲しいです。
⭐️太融寺境内にひっそりと佇んでいます、周囲は綺麗にされていて大事にされているんだと実感✨⭐️浅井長政の三姉妹/長女、おじさんが織田信長、豊臣秀吉の側室で豊臣秀頼の母とは🤔
太融寺さんに淀の方の墓の一つがあるとは知りませんでした。
秀吉の奥様、淀君のお墓です。
明治10年11月 城東練兵場(現大阪城公園)造成にあたり移祀されたもので、豊臣家に縁りの深い太融寺にお祀りした、とのこと。
境内鐘楼の付近の奥まったところに祀られています。
話しには聞いていましたが、太融寺の境内の奥にひっそり厳かに安置されてました。
境内の片隅にひっそりと安置されています。
全く情報なくぶらっと来て発見しましたひっそりとしています。
明治10年にここにうつされたようです。
本当は9重の塔だったのが、太平洋戦争の際に戦禍に遭って下3つは壊れて、今は6重になってしまったようです。
淀君は当時の絶世の美人、かつ、隣に白龍神社があるとのことで、己巳の日には歓楽街のおねーさんたちがお祈りに来たりもするようですよ。
淀殿の遺骨が明治10年(1877)11月に城東練兵場造成に当り移祀。
名前 |
淀殿之墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
掃除をされていた方が、もう一人の方に「淀さん」にもお線香をと言われていたのでびっくり。
お世話をされている方ならではの呼び方に納得。