石見神楽があったり、由緒有ると所デスね。
石見國三之宮 大祭天石門彦神社(三宮神社) / / / .
夜神楽を見ました。
五つ星じゃ足らない!!冗談抜きで30☆つけたいです。
色々な団体が日替わりで演じていて、同じ話でもそれぞれの団体で脚色や演出が異なっています。
これを読んでいる貴方が思ってる100倍は面白いですし、感動します。
そして間違いなく沼にハマります。
太鼓の震え、笛の音色、火薬の匂い、是非現地で体感してください。
社伝によると、阿波忌部氏の一族が当地に祀った神社。
一説に、浜田市の西にある大麻山神社と同時期に祀られたとある。
祭神は、天石門別命(手力男命)。
配祀の建御名方命は、承和二年(835)十二月二十五日に信濃から勧請された神。
社殿の後方に巨石があり、他に烏帽子岩があって、石信仰が本来の姿だろう。
その後、諏訪神の勧請により、諏訪的性格を帯びた神社となったらしい。
当社の特殊神事に、贄狩祭というものがあり、昔は、山狩りをして鹿を捕らえて供物にしていたようだ。
現在でも、猪の肉を献じるという。
境内の左手には、境内社である足王神社がある。
猿田彦命を祭神とする神社で、旅の神。
社殿には多くの草鞋が奉納されていた。
大祭天石門彦神社おおまつりあめのいわとひこじんじゃ島根県浜田市相生町1571祭神天石門別命 (天手力男神)天手力男神(あめのたぢからをのかみ)天照大神の岩戸隠れの際岩の扉を開いた神境内に足王神社がある猿田彦命を祭神とする大きな草鞋が奉納これは邪神に対してこちらにはこんな大男がいると威圧するもの。
桁行二間、梁間三間の大規模な流造。
四周に廻縁を廻す。
正面に二つの扉を持つ。
台輪上に二手先を乗せその上を二重虹梁斗栱大瓶束とし、台輪上に蟇股、その上に蛇腹支輪を設けるなど、手の込んだ仕様となっている。
石見国三ノ宮なだけはある。
庇は海老虹梁で繋ぎ華麗な彫刻の木鼻を設ける。
風蝕からは時間が経っているように見えるが彫刻等の絵様は彫りが深く大正から昭和初期の建立か。
石見神楽の浜田定期公演の神社ですインターを出てすぐ横にあります社殿中は閉められていたのでわかりませんが、由緒ある神社ですただ、誰も居なかったのはちょっと寂しいですね駐車場横に「熊注意」の看板がありました。
定期上演される『石見の夜神楽(石見神楽)』浜田会場です。
本来の神楽奉納に近い雰囲気で観てもらうため、あえて趣きのあるこの神社を会場にしています。
通常は神社建物内での上演で、観客はじゅうたん敷きの床に座る方式。
今は季節によって毛布貸与もあるようですが、腰の具合に問題ある方は座椅子持参が良いでしょう。
舞台部分は20cm程度高くなっているので、後方座席でもある程度観やすいでしょう。
9号線の自動車道降り口からすぐ近くにある神社です。
かなり広い駐車場あり。
石見の国三宮にして創立年代不詳なるも阿波忌部族が第十 五代応神天皇の朝石見の山守部となった時に勧請と伝えら れ延喜式内社である建御名方命は仁明天皇の承和二年十二 月信濃国諏訪神社より勧請後鳥羽天皇文治年間に正一位三 宮大明神の称を許されている。
武将の祈願信仰もあり朱雀天 皇の朝右近衛少将小野好古卿西下し藤原純友の乱を平定に 際し祈請奉幣の事あり、又毛利吉川の祈請奉幣あり社領も三 十六石三斗六升があり古来より信仰の篤い神社である。
明治 六年五月県社に定められ三の宮として国司の巡拝の信仰か ら庶民信仰が生まれたのは鎌倉時代の十二、三世紀の出来ごと である。
現在島根県神社庁より特別神社に定められたいる。
名前 |
石見國三之宮 大祭天石門彦神社(三宮神社) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
この神社は我が町の最も大切にしてる場所です。
今は、毎週土曜日に夜神楽の演舞されています。
予約制です。
一度観覧あれ😝👍