道路で分断されてしまった遺構でした。
益田氏城館跡(三宅御土居跡) / / .
道路で分断されてしまった遺構でした。
あとからつくったのまるだし。
益田氏の居館跡と考えられています。 この館跡の最大の特徴は、東西に残る高さ5mの土塁です。
南側の土塁は現存していませんが、発掘調査により1m弱の土塁がみつかりました。
2ha余りの広さがあり、同規模の領主の館と比較して2倍の大きさがあります。
この居館は益田氏が、関ヶ原合戦後に須佐に移封されるまで使用されていました。
平成16年に七尾城跡とともに益田氏城館跡として史跡となっています。
益田氏のお屋敷です。
上九々茂土居→大谷土居から最終的にここに移転されたといわれています。
益田川の上流から下流に徐々に移転されているのが興味深いです。
遺構の跡にあったお寺が移転したみたいで、建物の基礎が残っていたり、土塁にお墓の跡があったりと、あまり整備されていません。
もう少し整備してもらえるといいのですが・・。
道路は立派に作られているが、御土居跡などもう少し整備しないと観光には利用できない 名前が先行している。
川沿いにあり、散歩するには良い場所です。
益田氏の、いわゆる、別荘、別邸あと。
御土居の跡というより墓地跡感が…墓石は撤去されていますが、墓地の囲いの石が残っているので、整備は中途半端な状態です。
かろうじて御土居の土塁跡は残っているので規模は想像できます。
益田の歴史を感じられます。
建物の復元までやってほしい。
益田氏の城館跡。
目立った遺構は東西の土塁。
堀跡や井戸跡を示す標識がたっています。
中世の豪族益田氏の住居跡が公園になっています。
もともとは泉光寺の敷地であったものを市有地・公園化したもので、道路とその周囲の広場、井戸跡、掲示資料が整備されています。
しかしながら旧土塁上にあった墓地の垣根がいくつも残っており、お寺の跡は荒れ地のまま残されています。
掲示の一つは草をかき分けて進まないと読める位置にたどり着けません。
予算がなかったのか、もともとの公園整備計画範囲外なのかわかりませんが、未整備部分が景観を損ねていることがお寺があったころの姿を知っている者としては残念です。
名前 |
益田氏城館跡(三宅御土居跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
散歩でバテるとここに寄ります。
自販機とかあれば尚更いいんですけど。
あとトイレ。