益田を治めた益田市の居城「七尾城」の築城と共に鎮座...
益田家の祖となる御神本一族の氏神、御神本大明神が勧請されています。
中世、益田を治めた益田市の居城「七尾城」の築城と共に鎮座と伝えられています。
桜の名所として知られています。
益田十景の一つに選ばれています。
四季それぞれ綺麗な景色が見られる。
住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と息長帯姫命(神功皇后)を主祭神とし、七尾山山腹に鎮座する神社です。
益田兼高により七尾城の築城と共に建久3年に創建されたようです。
三宅御土居跡から県道171号線を南東に進み、益田川を渡り暁音寺前を抜けると一の鳥居に行き着きます。
そこからまっすぐ突き当たりまで進むと、二の鳥居と神社へと登る石段が見えてきます。
石段の南側には七尾城の水堀跡が公園化され花菖蒲園となっていました。
石段を建物の3階程度まで登ると一度踊り場となっており山崎寥村の句碑が置かれています。
踊り場で右へ直角に曲がり、そこからはひたすら登りが続きます。
石段を登り切ると黒瓦以外はすべて朱塗りの随神門にたどり着きました。
門をくぐると右手に龍の彫刻を備えた手水社が、左前方に拝殿が見えてきます。
門を抜けてすぐに左後をさらに進むと七尾城の城跡へ登ることができます。
拝殿のある場所は西側が開けており、ここから旧益田市街が展望できます。
参拝が目的でなくてもここから街を眺めるだけでも訪問する価値はあると思います。
拝殿前には文化14年奉納、浪速型/座型の狛犬さんがおられました。
砂岩製のようですが破損は少なく吽形頭の角も確認できます。
拝殿は北西西側、益田の町を見下ろす向きに建てられており、コンクリート壁、金属製の支柱、アルミサッシ戸で屋根は銅葺きになっていました。
注連縄の両脇にスピーカーが設置されています。
本殿は銅葺屋根の一間社流造で、拝殿後方、拝殿の屋根と同じ高さの場所に建てられており、拝殿と本殿は階段で連結されていました。
拝殿の上手(南側)には2か所目の手水社と粟嶋神社が北面して建っています。
粟嶋神社の鳥居・祠の壁は最近塗りなおされたようで鮮やかな朱色でした。
さらにその南側には朱塗りの木製鳥居が複数建てられた石段があります。
鳥居は根元部分が腐蝕・破損しており今にも倒れそうでした。
手前にも何本か鳥居が建てられていたらしき穴があけられていましたが本体は撤去されたようです。
石段をさらに登っていくと本殿の南側まで上がることができ、多賀神社(伊弉冉・伊弉諾神を祀っており七尾城築城の際の鎮守神として多賀より分霊)と稲荷神社、金刀比羅神社(扉に丸金がついています)が境内社として祭られています。
ここでも鳥居の劣化が進んでおり、金刀比羅神社の鳥居は朱がところどころ剥離し、稲荷神社前の鳥居は斜めになっていました。
稲荷神社(だと思います)は祠というより炉のような形状で朱塗りの壁が一部剥落してレンガが露出していました。
1対の狐さんとその間に小型の鏡が1枚置かれています。
もう1件他の境内社よりも大型の建物があったのですが、何を祀ったものかはわかりませんでした。
(ほとんど山道ですが)水源地公園の池の近くに降りるもう一つの参道が拝殿の南西にあり、参道の降口に大型の朱塗りの木製鳥居があるのですが、こちらも破損がひどく周囲に立ち入り禁止の綱が張られていました。
ところどころ手入れはされていましたが、一方で破損部分も各所に残っており、メンテナンスの大変さが伺えます。
住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と息長帯姫命(神功皇后)を主祭神とし、七尾山山腹に鎮座する神社です。
益田兼高により七尾城の築城と共に建久3年に創建されたようです。
三宅御土居跡から県道171号線を南東に進み、益田川を渡り暁音寺前を抜けると一の鳥居に行き着きます。
そこからまっすぐ突き当たりまで進むと、二の鳥居と神社へと登る石段が見えてきます。
石段の南側には七尾城の水堀跡が公園化され花菖蒲園となっていました。
石段を建物の3階程度まで登ると一度踊り場となっており山崎寥村の句碑が置かれています。
踊り場で右へ直角に曲がり、そこからはひたすら登りが続きます。
石段を登り切ると黒瓦以外はすべて朱塗りの随神門にたどり着きました。
門をくぐると右手に龍の彫刻を備えた手水社が、左前方に拝殿が見えてきます。
門を抜けてすぐに左後をさらに進むと七尾城の城跡へ登ることができます。
拝殿のある場所は西側が開けており、ここから旧益田市街が展望できます。
参拝が目的でなくてもここから街を眺めるだけでも訪問する価値はあると思います。
拝殿前には文化14年奉納、浪速型/座型の狛犬さんがおられました。
砂岩製のようですが破損は少なく吽形頭の角も確認できます。
拝殿は北西西側、益田の町を見下ろす向きに建てられており、コンクリート壁、金属製の支柱、アルミサッシ戸で屋根は銅葺きになっていました。
注連縄の両脇にスピーカーが設置されています。
本殿は銅葺屋根の一間社流造で、拝殿後方、拝殿の屋根と同じ高さの場所に建てられており、拝殿と本殿は階段で連結されていました。
拝殿の上手(南側)には2か所目の手水社と粟嶋神社が北面して建っています。
粟嶋神社の鳥居・祠の壁は最近塗りなおされたようで鮮やかな朱色でした。
さらにその南側には朱塗りの木製鳥居が複数建てられた石段があります。
鳥居は根元部分が腐蝕・破損しており今にも倒れそうでした。
手前にも何本か鳥居が建てられていたらしき穴があけられていましたが本体は撤去されたようです。
石段をさらに登っていくと本殿の南側まで上がることができ、多賀神社(伊弉冉・伊弉諾神を祀っており七尾城築城の際の鎮守神として多賀より分霊)と稲荷神社、金刀比羅神社(扉に丸金がついています)が境内社として祭られています。
ここでも鳥居の劣化が進んでおり、金刀比羅神社の鳥居は朱がところどころ剥離し、稲荷神社前の鳥居は斜めになっていました。
稲荷神社(だと思います)は祠というより炉のような形状で朱塗りの壁が一部剥落してレンガが露出していました。
1対の狐さんとその間に小型の鏡が1枚置かれています。
もう1件他の境内社よりも大型の建物があったのですが、何を祀ったものかはわかりませんでした。
(ほとんど山道ですが)水源地公園の池の近くに降りるもう一つの参道が拝殿の南西にあり、参道の降口に大型の朱塗りの木製鳥居があるのですが、こちらも破損がひどく周囲に立ち入り禁止の綱が張られていました。
ところどころ手入れはされていましたが、一方で破損部分も各所に残っており、メンテナンスの大変さが伺えます。
季節ごとにいろんな花が楽しめます✨上からの景色もすごいです。
益田市の〔七尾城址〕に山崎寥村の句碑がある。
水よりも花静かなり暮れんとす 山崎寥村の句碑は〔高津柿本神社〕にもある。
特になにがあるわけではありませんが・・・昔ながらの小さな町を一望できます。
益田の町に興味がわいたなら、ゆっくりと町の歴史や風情を楽しみたいなら、ぜひ行ってほしい場所です。
名前 |
住吉神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0856-28-0307 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=30456 |
評価 |
3.5 |
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