フェリーの時間ギリギリまでお話してほんとに楽しかっ...
休憩処くすくすはキッチンくすくすに生まれ変わりました。
オーナーの山地さんに加わり、移住してきた當山さんが書hくじを提供してくれます。
金土日は毎週。
平日は予約で食事が出来ます。
一見、普通の民間のような入り口で入り難いかな?とも思いますが、お店の方も凄く気さくでメニューはコーヒーなどの飲み物だけでしたが、のんびり、ゆったり出来ました。
とても気持ちの良い対応をしていただいた。
ありがとうございます。
また行きます。
とても親切な奥さまがオーナー。
お店から見えるきれいな草花もポイントです。
島を愛する心とおもてなしがたっぷり。
もしかしてお店の名前「くすくす」は、志々島のシンボル 大楠からでしょうか?旦那さまは海上タクシーをされているということで、定期船まで待ち時間があったので使わせて頂きました。
船着場に行くとそこに待っておられたのは、クルーザー・・・。
まるで加山雄三の気分。
とてもリッチな休日を味あわせていただきました。
なのに運行費はびっくりの安さ。
重ね重ね有難うございました。
とってもよくしていただいて、いろんなお話しながらのんびりできました😊居心地が良すぎて、フェリーの時間ギリギリまでお話してほんとに楽しかったです♪またすぐにでも行きたいです♪
海辺で、景色よい!
この島にやって来ると色々なことに心が動き始めます。
その一つに、これだけの家屋の人たちが何を生業にして生活していたのかということ。
『瀬戸内海 志々島の話』には、こう書かれていました。
「この島は明治初年までは広範な漁場を一手にして、鯛シバリ網の本拠地となっていた。
近在から多くの出稼ぎ者も集まって「金のなる島」と称された。
当時この島だけで7~8統のシバリ網元があり、ひとつ80人程度の人手を要するので、この漁だけで五~六百人の人員を必要とした」 また、明治三年の文書には「当嶋は漸く高五拾九石九斗六升余之処、家数百五拾軒、人数七百五拾余人相住、迪茂農業一派にては渡世成り難く、旧来漁業専一に相稼ぎ、上は真島上より下は香田浦和田門磯辺迄の網代にお為て四季共繰網、蝶網、打瀬小職に至る迄何等子細屯御坐無く相稼ぎ、御加子、役の者勿論御菜代米物諸運上向滞り無く上納仕り」とあり、島の漁業が「繰網、蝶網、打瀬網、小職」であったことがわかります。
「東瀬戸内海の漁業の中心」と言われるようになったのは。
幕末に丸亀藩から土器川河口の真島から詫間の香田浦に広範な海面の漁業権を与えられていたことが背景にあります。
それは、丸亀藩の財政逼迫に対して、志々島の網元「いせや」に借り入れの申し込みがありました。
「いせや」の当主は「藩へお金をお貸しすることはお恐れ多いことです。
御用金として上納させていただきます」と、多額の金子を献納しました。
その報償として、広範囲の漁業権を得たと伝えられています。
大蛸・鯛・飯蛸の捕れた魚は、搬送船で対岸の備前や遠く淡路などへも送られました。
志々島の漁業は、東瀬戸内海という広い範囲で展開していました。
帰りの船の時間まで四十分くらいこちらにお邪魔しました。
雨の日だったので助かりました。
室内を出入りする人懐っこい猫もおり、(出る時は、前足で引き戸を開けていて、可愛かったです。
)島のお話も色々聞かせていただいて、待ち時間が短く感じられました。
島で唯一の休憩所です。
閉まっていたのですが、入口の貼り紙を見て電話しました。
自宅が少し離れていたのですが、快く開けていただきました。
夏の暑い日の仕事終わり、大変助かりました。
名前 |
くすくす |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
090-1598-5885 |
住所 |
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評価 |
4.6 |
島を散策したあとゆっくりさせてもらいました。
カレーもとても美味しかったですが、お店のご夫人がとても素敵な方で島の回り方や船の時間など親切に案内して下さいました。
帰りに水を水筒にもらう際もちょうどあるからとハーブ水を分けていただいたりと、船までの待ち時間が長かったですが、素敵な時間を過ごせました。