注連石が独特の雰囲気を醸し出しています。
白河天皇の勅許を得て京都加茂神社の神官、原斉木朝臣源吉高が応徳元年(1084年)に鴨の氏人五人とその家族と共に総勢三十三人が御座船二艘を仕立て鴨川、淀川を経て海に入り途中播磨国室津、庄内の鴨の越、津多島に到着しました。
仁保の人々に鳴り物入りの歓迎を受け御分霊は津多島に奉祭されました。
京都から供奉してきた鴨の氏人達は以来仁保に永住し政り事を行い、また仁保で獲れる豊富な海産物を京都に献納しました。
寛治四年(1090年)堀河天皇が六百余町の不輸田と九箇所の御厨を定める。
讃岐国内海(仁尾網之浦)の住民は神人として「櫓棹の通い道浜」として津料の免除など海上交通の特権が与えられる。
後、室町幕府の四国管領細川顕氏が仁保の神人に与えた禁制に見られるように後世の支配者も神領御厨を保護、大正の頃まで仁尾は海運により発展する。
足利将軍家の内乱に端を発する観応の乱(1349~1352年)において管領細川顕氏の水軍に加わり活躍、その戦功により観応二年(1351年)に細川顕氏により、賀茂神社は津多島から現在の地に遷宮される。
同時に海岸だった当社境内の西側は石積みの防波堤が築かれました。
後修復しながら現在に至る。
明徳二年(1391年)細川頼元により別当七宝山神宮寺創建。
神宮寺の別当は大寧山不動護国寺覚城院が昭和三十一年に廃寺になるまで存続しました。
現在の社務所の位置がそうです。
神宮寺の本地仏(木造聖観音菩薩坐像)と鐘楼は覚城院に安置されています。
蔦島には今も元宮(沖津宮)が有ります。
賀茂神社の御祭神は賀茂別雷大神旧社格は県社です。
仁尾町は昔繁栄した土地ですから、こちら賀茂神社も大変大きく豪勢な格式の高い社です。
霊験新たかなパワースポットの社です。
名前 |
賀茂神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0875-82-2321 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
神聖な雰囲気の漂う神社です昔からこの地を守ってきた感じがします。