何回か見ましたが行ったのは初めてです綺麗な神社で良...
太鼓台はここでの奉納のあと、矢田の御旅所まで移動していました。
石清水八幡宮領草木荘の成立時に勧進された神社です。
草木荘は北草木・南草木が領域で、詫間荘仁尾のすぐ南に隣接する荘園であったことが記録から分かります。
草木荘は、江尻川河口の港湾想定地に面したところに南草木の集落を配し、その一角には在地領主の存在を想定させる「土居」地名や、京都男山の石清水八幡宮を勧請した草木八幡宮(履脱八幡宮)が存在するなど、荘園の中心が海浜部に面した荘園だったようです。
草木八幡宮や江尻川河口の港湾は、京都石清水神人たちの活動の拠点となっていた可能性が高く、大蔦島を拠点とする上賀茂社神人と競合関係にありました。
応永二年(一三九五)草木八幡宮を南草木の「小山」からやや内陸に入った現在地に移動し、新たな歩みを開始します。
その背景には江尻 川河口堆積によるの港湾機能の低下や、江尻川中上流域における低地開発への着目など、草木荘をめぐる生産環境の変化があったことが考えられます。
あたかもその時代は、上賀茂社神人たちの活動が活発化し、大蔦島・小蔦島やその沿岸海域を越えて、対岸の詫間荘仁尾村にまで活動の舞台を拡大し、これをしだいに上賀茂社領仁尾浦として組み込んでいく時期でもありました。
草木庄の石清水神人たちは次第に、賀茂社神人たちの活発な動きに圧倒され、しだいに吸収・一体化されていったようです。
そうした状況の中で、草木荘の海浜部までが仁尾浦の一部として組み込まれていきました。
讃岐細川家が創建し重臣の讃岐大平家が管理した。
道沿いの小さな神社!境内のイチョウが綺麗に色づいています。
名前 |
履脱八幡神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE-45/ |
評価 |
4.5 |
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何回か見ましたが行ったのは初めてです綺麗な神社で良いと思いました。