宗吉瓦窯跡は四国では最も古い飛鳥時代(650年頃)...
三豊市宗吉かわらの里展示館 / / / .
宗吉瓦窯跡は四国では最も古い飛鳥時代(650年頃)に生産を開始した瓦生産専門の窯跡群です。
三基の窯で妙音寺(三豊市)の瓦を生産を開始した後、ニ十一基の窯を使い宝幢寺(丸亀市)や藤原京(奈良県)の瓦を大規模に生産しました。
宝幢寺に供給された瓦は670年頃に建設された国立の大寺である川原寺(奈良県)の瓦に良く似ており川原寺建設に携わった瓦工人は瓦の製作技法と共に焼成窯の構造や大規模生産体制を可能にする態勢を当地に伝えたと考えられます。
この事が後の藤原京の瓦の生産に繋がっていきます。
藤原京建設には200万枚以上の瓦が必要と成り大和以外の和泉、淡路近江、讃岐等の地方でも瓦が生産されました。
藤原京より200Kmも離れた当地で瓦生産が行なわれた背景には既に大量生産可能な体制が整っていた事や、この地が大和朝廷と繋がりの深い有力豪族が居たためと考えられます。
後の平城京の建設には国営の生産管理が整い「官窯」が成立する為、従来の地方豪族が介した瓦生産は急速に衰退します。
ここ宗吉窯も歴史の舞台から姿を消すことと成ります。
三野町吉津にあった瓦窯跡です。
奈良の藤原京造営の際に使用された瓦が此処で作られており、職人は伊予の方から招集されました。
付近にある伊予神社はその職人集団により創建されました。
地名にあるとおり𠮷津、津は港を意味します。
三野津湾は当時この地域まで入り込んでおり作られた瓦は船で運ばれました。
都の造営が終わると、職を失った職人は綾南の陶に移動しました。
綾南の十瓶山に窯跡が遺跡として残っていますので間違いないでしょう。
陶の地も良質の粘土の産出地です。
何か休みに模様しがあるのかな?食堂で数人の人達が何かの準備をされていました。
この展示館駐車場に車を置いて里山(トンギリ山)に登った。
頂上からの眺望が素晴らしかった。
あまり知られていないのが残念です。
ここから奈良まで運ばれたのは瀬戸内海が要因でしょう。
穏やかな海なんて瀬戸内海ぐらいです。
広々としてとんぎり山の風景もいい。
サイクリングで行きました宗吉かわらの里展示館史跡公園⛲です詳しく書いた説明文があり知りたい人は出かけて見て下さい又上に登るとんぎり山の登山口がありウォーキングが楽しめます。
通りかかった宗吉史跡祭りでバザーのうどんを食べた。
流石うどん県、バザーのうどんも馬鹿に出来ない。
コシがあり美味しいうどんでした。
古代の瓦窯遺跡に特化しているだけあって、展示やその説明が具体的でコンセプトがぶれていないのが大変よいです。
藤原京に瓦を収めていた窯で、最も遠く、最も大きい窯だそうです。
今でも窯跡が残っており、中を見ることもできます。
展示館は全体の模型や出土した瓦、瓦のレプリカで作った屋根等、充実しております。
藤原京に瓦を収めていた窯で、最も遠く、最も大きい窯だそうです。
今でも窯跡が残っており、中を見ることもできます。
展示館は全体の模型や出土した瓦、瓦のレプリカで作った屋根等、充実しております。
名前 |
三豊市宗吉かわらの里展示館 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0875-56-2301 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
瓦の里は、遊具はありませんが、広場でのびのび遊ばすことができます。
また子どもの手形もお金払えば取らせて頂け、半日は十分楽しめる場所です。