三豊市山本町の氏神様の菅生神社を久しぶりに御詣りさ...
仕事で立ち寄った場所です。
静か。
車で走行中に一服。
三豊市山本町の氏神様の菅生神社を久しぶりに御詣りさせて頂きました。
大変立派な拝殿と本殿です。
また、鎮守の森が国指定の天然記念物に成っています。
昔のこの辺りの原生林が残っているのでしょう。
家内の実家の氏神さまです。
神聖な場所です。
神社の周りに生えてる木が迫力スゴくて天然記念物なのも納得です。
歴史ある神様が沢山。
境内の道幅も広く 太鼓台4台入る。
この神社の社叢は広大です。
ツブラジイ、カンザブロウノキ、ミミズバイなどの照葉樹林が繁り、古い時代の香川の植生を見ることができ天然記念物に指定されています。
社前の老松は天狗松と呼ばれ、天狗がここまで飛んできて羽休みをしたといわれています。
それが本当のように思える深い社叢です。
明治政府による神社合祀政策が進められる以前は、菅生・福生両社八幡宮と呼ばれ二社でした、正徳二(1721)年、両社造りの一社となり、明治十二(1879)年以後は菅生神社と呼ぶようになりました。
菅生神社の方は『讃陽物語』所載の縁起では、香西左近将監資村が、河内国丹比郡(現在の大阪府堺市美原町)にある菅生神社の霊夢を見て、河内に使者を派遣し、三野郡大野村相模重政(春日皇子の後胤)が神霊を奉じて室本浦に着き、仮殿を古川村に造り、さらに山本の地に勧請したとしています。
今でも古川村仮殿は、「雁渡宮」(がんどぐう)と呼ばれているそうです。
福生八幡は鎌倉時代に、豊前国宇佐から八幡大神を迎えて福生神社としたと伝わります。
別の説では、福生八幡宮は古川村鎮座の八幡宮をここに遷し、その時の暦号により福生八幡宮としたとも伝わります。
また昔、境内に大楠があり、その陰が数町歩に及んだことから、山本の地名となった言い伝えもあります。
どちらにしても、豊田郡山本郷の七ケ村の産土神として古くから信仰を集めてきた寺社です。
日吉社領である祚田の日枝神社や祇園社荘園である財田大野の須賀神社のように、この神社も石清水の荘園である山本郷に、八幡宮を勧請したものでしょう。
兵火に遭い文書などは伝わっていません。
江戸時代の正徳(1721)年、本殿と社殿を改築して大社となり、現代の姿の原型が出来上がったようです。
明治になると神仏分離の嵐がこの神社にも吹きます。
八幡神は神として認められず分離されます。
そして明治5(1872)年に郷社になります。
そして、寺から神社への改装の一環として明治9年、本殿を改築します。
それが素木桧材八棟権現造り桧皮葺棟銅包の本殿として残ります。
境内地一万〇六二坪(三万五一四四平方㍍)、社有林一八〇一・九坪(五九五六平方㍍)の森の中にある神社です。
名前 |
菅生神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0875-63-3695 |
住所 |
|
関連サイト |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E8%8F%85%E7%94%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
評価 |
4.1 |
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正月2日に初詣に行きましたが、誰もいなかった(9時半頃)