この場所は、一年に何回か、仕事で来ています。
この場所は、一年に何回か、仕事で来ています。
回りの雰囲気が似ていて、ぐるぐる迷子になります。
草とかも、多くてわかりづらいし、言われないとわかりません。
長宗我部ゆかりの地。
由来です。
種崎から御畳瀬に上陸した長宗我部国親・元親父子と当時この地域を支配下においていた本山茂辰の両軍合わせて3500余が激突した古戦場跡です。
時に永禄三年(1560)五月、元親は二十二歳の初陣で、大変戦功があり、その武名は一日にして敵味方に知れ渡り、後日覇名を四国に轟かす発端になった戦といえます。
この碑文の読みは「コフンナリ コボツナカレ」で「この辺一帯は、古い墳墓のある土地です。
むやみに掘り返してはいけません」といった意味がこの簡潔な五文字の中に込められています。
当時この地は荒涼たる原野で、それなりに戦骨は葬られたと思われますが、江戸期の運河開削により田畑に変じ、深耕のため時として露出することがあり、識者により注意喚起のためこの碑が建てられたものと考えられます。
長曽我部元親の初陣となった古戦場。
長宗我部の軍(元親父子)と、それまでここを支配していた本山の軍の野戦場所です。
長宗我部元親公が姫若子から鬼若子として名を馳せ始めるデビュー戦といていいでしょう。
見るものもあまりないですが、長宗我部(元親)ファンなら行くべき場所の一つではないでしょうか。
長宗我部ゆかりの地。
名前 |
戸の本古戦場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kochi.kochi.jp/site/kanko/tonomotokosenjyou.html |
評価 |
3.1 |
姫若子から鬼若子へ進化。