戦争の遺物、もっと大事に残して欲しい。
前浜掩体群 5号掩体 / / .
のいち駅からタクシーで高知空港への帰路の途中、運転手が話をしてくれて興味がわいたので連れて行ってもらいました。
戦争の爪痕がそのまま残されている戦闘機用の格納庫。
7つあるうちのここだけはキレイに整備されて周囲を公園にして看板付で展示されています。
他の掩体(えんたい)は大体が田んぼの中や田んぼからの農道の先にあるのでちょっと行きづらい場所にあります。
他にも戦争の歴史が今なお残る場所にあちこち連れて行ってもらい、1時間近く経って高知空港へ。
たぶんまっすぐ行けばワンメーターでいけそうな距離でしたが、合計4000円ほどかかりましたwでも興味深い話や勉強になったのでむしろ安いと思い納得の支払い。
ありがとうございます。
高知市内から とさでんバスの前浜行きに乗り、大湊小学校前バス停を降りて うまく周れば1号から7号までの掩体を見学して 行程1時間で空港まで歩いて行けます。
地元の人たちの生活に溶け込んでいる 戦争の遺構です。
高知空港すぐ近くにある前浜掩体群 (まえはまえんたいぐん)。
第二次世界大戦中、高知海軍の飛行機を米軍の空爆から守るために作ったコンクリ製の格納庫。
今も7基が残っています。
この5号掩体が1番綺麗に残っており、周りが整備され、看板があって詳しく説明があります。
他は倉庫になっていたり、道が突き抜けていたり、様々な形で田園地帯に保存されています。
歴史を感じられる所です。
学校では教えてくれない歴史(。-_-。)ここに日彰飛行場がある…大戦末期 昭和20年4月『菊水第一号』作戦発令同年6月の2ケ月間に第10号作戦まで10回の「特別攻撃」を行う。
(同20年8月15日 玉音放送_終戦を迎える)『航空総攻撃』を目指した菊水第一号作戦。
だが…大元帥(天皇陛下)から「飛行機のみで?海軍には もう船はないのか?」と言われ…「一億 総特攻」の道へと進み戦艦大和による海上特攻(天一号)作戦も同時展開する事となる。
そして・・不沈戦艦『大和』坊 ノ岬沖にて轟沈…当初の菊水作戦は零戦を始めとする最新鋭機であったが末期には93艦爆練習機なども特攻する白菊隊は、練習機白菊,を保有する高知/徳島/三重/静岡により編成高知航空隊(菊水白菊隊)徳島航空隊(徳島白菊隊)三重鈴鹿航空隊(若菊隊)静岡大井航空隊(八洲隊)ここ日彰飛行場は昭和19年3月15日 偵察機隊員養成を目的とし開隊三重.鹿児島.宇和島.松山の各地隊より偵察専修生が入隊。
昭和19年10月14日 訓練中の白菊二機が接触墜落昭和20年 4月 1日 第三航空艦隊第十二航空戦隊に転籍昭和20年5月5日 白菊全機を特攻機指定。
特攻訓練を開始白菊の特攻仕様への改造は、250kg爆弾を2発(両翼)装着、航続距離不足を補うため胴体内後部席に零戦用の増槽を取付。
通常480Lである搭載燃料を700Lまで増加。
元々練習機である白菊は最高速度230km/h(零戦533km)これだけ積むと速度は180kmにまで低下。
53kmの車と18kmの原付と思えばお分かりだろう(当然ながら敵グラマンF6Fは速い!)このメタボ機で飛べる(離陸)できるのか?という不安が隊員にはあったという…装備はなんと7.7㍉機銃☓1丁。
18㎞の原付で・・・周囲は50〜60㎞の敵機特別攻撃機 白菊はゆく。
(遅いので(´・ω・`;)深夜発の寝込みと寝起きを襲う特攻隊💦)此処 掩体壕では今も「心眼ヲ開ケシ者 白菊ノ発動機音ヲ耳二セリ.」
戦時中の飛行機の機体を隠す建造物。
田んぼの真ん中にドーンと幾つか立っているのが異様な感じ。
複数あって、もっと大きく全体を蔦が覆っている雰囲気がプンプンな物が他にもあるのだが、どうも近くで見ると農機具とかが仕舞ってあったから個人の所有物なのか、Gマップでは表示されない。
ここまで残っているなら、本当の飛行機も仕舞っておきたい感じ。
名前 |
前浜掩体群 5号掩体 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
薄れていく戦争の歴史を感じることができます。
ここだけでなくこの辺り一帯歩いて行ける場所に何ヶ所もあります。
ですが内部は農機具小屋や物置になっているものも多く…県や市がバックアップしないと、いずれ倒壊してしまいそうです。