伊東祐親像お散歩の休憩に寄ってみました。
伊東祐親公は、伊豆国田方郡伊東荘を本拠としていた武将です。
、平清盛の信頼に厚く、源頼朝が平治の乱に敗れた後、伊豆国流罪となった際は長年監視役を務めます。
しかしながら、娘の八重姫と源頼朝との間に子供が出来てしまい、平家の義理立てからその子を淵に沈め、また、源頼朝の命を奪おうとします。
その結果、源頼朝は北条時政の元に逃げることとなり、その地で、北条政子と結ばれることとなります。
そして、流されてから20年後の1180年(治承4年)、頼朝が挙兵すると、平家方として源頼朝と戦い、石橋山で頼朝を敗走させます。
しかしながら、富士川の戦いで捕らえられ、娘婿の三浦義澄に身柄を預けられます。
2年後、義澄の嘆願により、北条政子が懐妊したことによる恩赦で助命されますが、相模国の義澄邸で自ら命を絶ったという悲劇の武将です。
また、曽我物語で有名な曽我兄弟の祖父でもあり、伊東祐親公を狙った矢が曽我兄弟の父親である河津三郎祐泰に当たり命を落としたことから、仇討ちの物語が始まります。
伊東祐親は、工藤氏の6代目であり、伊東氏の祖でもある工藤祐隆(伊東家次)の孫。
名前 |
伊東祐親像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.8 |
伊東祐親像お散歩の休憩に寄ってみました。