オオナムチを祀る神社で、神紋は鍵です。
大御和(おおみわ)神社 / / / .
延喜式の神社で、阿波国府がおかれていたようです。
大きな鳥居が東側と南側にあり、南側の鳥居は寛政年間のものとなります。
境内は広く、境内社の江の島神社や手水舎、安永、寛延、天明年間の燈籠、原田親子顕彰碑、寛政年間の狛犬、祠が数基、狛獅子(プーマ)、などが見どころが多数です。
社殿は大きく、宮司の書や天狗👺の面、絵画が奉られています。
宮司さんが神社と土地を売却しようとしたらしく、氏子さんたちが協力して売却を阻止しているとのことでした。
貴重な神社を守っていただき、ありがたいことです。
おさい銭を多めにしておきました😁
広い境内と堂々たる佇まいの本殿が印象的です。
境内は素晴らしい巨木(樹齢1000年~)が何本もあり、神社の彫刻も素晴らしく、阿波の青石もふんだんに使われている、とても素敵な神社でした。
参拝するときは雷が鳴っていましたが、参拝が終わると太陽が顔を出し、雷は治まり晴れてゆきました。
国府の大事な神社が、これからも大切にされてゆきますように。
式内社 阿波国名方郡 大御和神社(おおみわじんじゃ)阿波国総社 旧県社旧称/府中の宮(こうのみや)・印鑰大明神「印鑰(いんやく)」とは、国のハンコと国庫の鍵を意味する言葉徳島県徳島市国府町府中644御祭神/大己貴神(大国主命)由緒/名方郡の延喜式内小社の大御和神社で、府中の宮(こうのみや)と呼ばれている。
また江戸時代には印鑰大明神と呼ばれた。
当地は王朝政治の頃には国司がおかれた阿波国の中心地であった。
印鑰の由来については、当社が国司の官印や国庫の鍵を守護したとされこと、または、祭神の大己貴命が天子の鍵をお預かりしたとか、弁財天の童児の印鑰が社名となったとかの諸説がある。
社殿は東向き。
境内中央に八角形の盛り土を瑞垣でおおっている。
敷地の8割が売却されているそうです。
大御和神社は徳島県徳島市の中心であったと聞いています。
子どもの頃からよく親しんだ場所です。
そんな場所が宮司の借金のために売却してもいいのですか。
不動産屋さんも罰当たりです。
昔の国司が印と鍵を奉納していたため印鑰明神(いんやくみょうじん)という。
奈良の大神神社の分身とも言うらしい。
鍵とか印を祀ってたから家内安全には効験があるのかなと思います🔑
宮司さん宅で御朱印いただきました。
大御和神社とはご祭神を大国主神と少彦神です、地元では、こうの宮と呼びます。
大国主神は国譲りからのちは、叔母の天照神のところに長くいましたので、ここに居を構えたとおもいます、本来は出雲の神ですから、吉野川をさかのぼりまして美馬郡重清西の倭大国魂神社が本社地ですが、よほど叔母が気に入りまして亡くなるまでこの地におりまして、叔母の天照神の葬儀には葬儀委員長をされております。
この神社は今は小さな神社ですが、古代にはそうとい広く、それが証拠に740年代には聖武天皇は約500メータ離れた場所に観音寺を建立しています、現在の東の寺は空海が建立したもので、神仏混合と明治までなっていたものです。
古代当時は大山杭神様の命令によりまして、この南には愛宕の神が祀られております、現在は愛宕社は小さくなっておりますが、離れた場所に愛宕大権現としても祀られております。
わたしは、奈良の大神神社はここが元神だったとおもいます、大神神社はスサノウ神の神社でしたが、ある時期に息子の大国主神を祭神に変えています、これは、スサノウ神がナンバーワンでは朝廷が困るからなのです。
大御和神社 印役大明神 大宝2年 文武天皇に国璽印を献上した記録。
オオナムチを祀る神社で、神紋は鍵です。
名前 |
大御和(おおみわ)神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
088-642-2251 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.4 |
県道沿いの住宅地に囲まれた平地に鎮座される神社となります。
駐車場は広い境内の空きスペースを御利用頂けます。
境内の出入口は狭くなっていますので御注意ください。
本日は参拝と併せ、「とくしま花手水巡り」の鑑賞に訪れました。
境内には「あやかり兎」と呼ばれる縁起の良い石造りの兎が祀られています。
色とりどりの花々により飾られた花手水にも可愛らしい兎の置物が有り、和やかな雰囲気を演出されていました。
社務所の梅の木には濃いピンク色の花が咲き見頃を向かえ、穏やかな春の訪れを感じさせられました。