名前 |
本堯寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
087-885-2020 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
江戸時代の幕末に松平高松藩を危機から救った松平左近とその一族の墓所がこの寺にあります。
松平左近(1809-1868)は幕末の勤皇家として有名である。
高松松平藩八代目頼儀(のり)の長男として江戸小石川の高松藩邸で生まれる。
名は頼該(かね)通称左近金岳と号した。
文武の才能にたけ、しかも芝居や能に深い感心を持ち、法華宗の熱心な信者で仏典にも精通していた。
尊王の志厚い長谷川宗彦衛門、藤川三渓、日柳嚥石等の憂国の志士を庇護し勤王の思想を鼓舞し、幕藩体制ながら、志士の活動を助けた。
鳥羽伏見の戦いで高松藩は朝敵の罪を問われることになった時、左近は大義を説いて複雑な藩論を迎え、朝廷に共順の意を示させた。
この寺は法華宗です。