高速道路の高架を過ぎた東側の堂山中復に鎮座する神社...
謎の番号が地面に割り振られています。
父の故郷の神社、山の中腹にあります。
秋祭りの各部落別の獅子舞が良い感じです。
綺麗にしめ縄がされ良いと思います☺
●t日抱神社(ひだきじんじゃ)名のいわれ 日本神話で、日の神、天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れた天の岩戸の戸を天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が、開いてお出しした故事により、この天の岩戸神話に登場する神々(県道39号線に面して建つ神社碑の背面に刻まれているのでご参照。
天の岩戸の前で熱狂的な踊りを披露した天鈿女命(あめのうずめのみこと)の名もありますよ)を祀ったので日抱(ひだき)神社と。
(古くは日抱大明神とも)●t長い石段道 この神社の面白いのは長い石段道。
足腰の鍛錬にもってこいです。
氏子の皆さんがよく手入れされ、石段道も境内もとてもきれいに整理整頓されています。
●t堂山登山道 拝殿右手に堂山への「日抱神社登山口」があります。
この日、ついでに「堂山304M」まで往復してきました。
このコースは初めてですが、その印象は、・t「綱敷神社登山道」、「南登山道」に比べ、人工の土留めや合目標識がなくまだまだ自然が一杯残っていてとても快適。
・t土曜日・天候は晴れと云うのに往復とも誰にも出会わず。
・t登ったり下ったりする。
急坂もあるが補助ロープが設置されているので安全。
・tパーソナル所要時間は往復で約1時間。
国道11号線より、県道39号線を南下し、高速道路の高架を過ぎた東側の堂山中復に鎮座する神社である。
最初に大鳥居があり、そこから社殿までは比較的急勾配で距離もある。
その途中は大きな木々の社叢に囲まれている。
この神社のいわれは神代の昔、高天ケ原にて手力雄命が、天の岩戸を開いて日の神、天照大神のお手を取ってお出し申した故事により日抱と称した。
由来縁起は寛永八年(1631年)に福家堂山城主が阿波国逢坂より勧請し、創建したのである。
享保五年(1720年)に現在地に遷宮する。
今の社殿は明治40年に再建したのである。
この神社東側から堂山城に続く道があります。
戦国時代は福家氏の里城から要城のある堂山城までの抜け道であったと思われる。
39号線沿いに 大きい鳥居ありおよそ300の石段と平行した地道がありどちらも社殿につながっている。
鳥居からは、木々の繁みを感じながらくぐり抜けたどり着く!本殿は外界が広がり開放感漂う!人里近くで山間を味わえるところがいい!日頃は村の世話人に守られているようで、広場も社殿の周りも手入れされているようでどことなくいい空気が漂う!又ここは手軽に石段による健脚維持とちょっとした山登り気分を味わえいい~
名前 |
日抱神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E6%97%A5%E6%8A%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ
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国分寺町新名福家に有る社です。
主神は手力雄命、合祀されている神々は天児屋根命、太玉命、天鈿女命、石凝姥命、玉屋命です。
神代の昔、高天ヶ原にて手力雄命が天岩戸を開け日の神、天照大神の御手を取ってお出し申し故事により日抱神社と称す。
古くは日抱大明神とも言う。
寛永八年(1631年)福家堂山城主福家七郎衛門高宣、阿波国逢坂より中福家宮殿の地に勧請し創建。
この宮は元々紀州にあり社領一万三千石祝舎、僧坊各六十六を持ち有名な社であった。
享保五年(1720年)福家資季の代に現在の地に社殿を遷し祀る。
現在の社殿は明治四十年(1907年)の再建造営である。