広い敷地面積がある大変大きな古墳のようですが入口と...
快天山古墳には来訪者が自由に持ち帰ることのできるパンフレット【史跡 快天山古墳】がプラケースに準備されている。
上質紙にカラー印刷された立派なものです。
その中に、石棺(*1)の詳細が紹介されているが、更に同じ産地の石棺が当時の天皇・皇后にも求められたことが併せて紹介されている。
このことから被葬者は中央政権とも太い繋がりのあった有力者であっただろうと考えられている。
その内容は、以下の通り。
*******『播磨風土記』の記述奈良時代初期(*2)に編纂された播磨風土記に次のような記述がある。
此里有山、名曰伊保山。
所以號伊保者、帯中日子命(〇仲哀天皇)乎坐於神、而息長帶日女命(〇神功皇后)率石作連大來、而求讃岐國羽若石(*3)也自彼度賜、未定御盧之時、大來見顯故曰美保山。
*******以下の漢文解釈は、「播磨國風土記研究の播磨広域連携協議会誌」より転記したものです。
【解釈】この里(*4)に山があり、名を伊保山といいます。
仲哀天皇(第14代)が亡くなられ、ご遺骸を神としておまつりするようになって、お后(おきさき)の神功皇后が石作連大来(いしつくりのむらじおほく)を連れてきて、陵墓を作るため、讃岐の国の羽若(はわか)の石を求めさせられました。
そこから播磨の国へお帰りになって、まだご葬儀の場所が定まらないとき、大来(おほく)が、その場所を見顕(みあらは:発見)しました。
そこで、美保(みほ)山といいます。
(*1) 刳抜式割竹形(くりぬきわりたけがた)石棺で石材は高松市国分寺町鷲ノ山産の変朽安山岩(へんきゅうあんざんがん)(*2) 今から約1
広い敷地面積がある大変大きな古墳のようですが入口と書かれた場所は虎ロープやチェーンがあり入れません。
原っぱや雑木林を遠くから眺めている感じです。
快天山古墳には駐車場があり隅っこに説明看板が設置され自由にお取りくださいと書かれた快天山古墳が詳しく説明解説されたパンフレットが置かれています。
備考快天山古墳は丸亀市綾歌町富熊にあり国道32号線の住吉神社交差点を北に向かうと案内看板があるので直ぐわかります。
三世紀頃の香川を理解するには欠かせない古墳です。
快天山古墳、史跡、古墳時代前期中葉後半、四世紀中頃讃岐型前方後円噴で四国最大規模誇り全長98,8メートルあります詳しく知りたい人は出かけ見て下さい(^-^)/
広い敷地にある古墳時代前期の物で史跡で四国で三番目に大きな古墳跡です詳しく知りたい人は出かけて見て下さいパンフレットがあり持ち帰り自由です。
眺めがいいので、古墳マニアでなくても楽しめる。
ちなみに快天とはここにあった寺の住職の名前。
讃岐の最大級の古墳跡である。
後噴頂上付近から三個の石棺が出てきている元はお寺があったということである。
綾歌町を見渡せる眺望が素晴らしい。
遠く瀬戸大橋を望む。
登り口に歌碑がある。
「瀬戸よりの風うけて 澄む讃岐富士」
名前 |
快天山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
古墳・行っても古墳らしき物は無い。